かしこいに

海外から発信されたニュースの翻訳をしたり雑記とか

夕焼けと淀川と植物の写真:淀川河川公園枚方地区

過去に撮った淀川付近の写真で良さそうなものをせっかくですので公開しようと思います。

 

↓夕日と霧がかかった市街地と淀川の三層構造です。あの市街地は高槻ですね。

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↓左にたなびく葦と煌々と照り輝く夕日だけが見えるようにしました。夏の暑さが終わって秋の涼しさに入ろうとしかけている感じがします。

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↓なんだか非現実的な感じのする写真が撮れました。編集は一切していないです。JPGです。

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↓風で揺れている葦を撮りました。この風のお陰で多くの植物が種を飛ばして命を繋いでいくことができるのかと考えると、生物はまさに自然と一体なんだなと感じます。f:id:kasikoini:20171028135433j:plain

 

 

↓また夕日と葦。夕日を下に置いて空に向かって伸びていくような感じで葦を置いてみた。太陽よりも高い葦、面白そう。

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↓夕日に黄色く照らされたベゴニア。ところどころ虫に食べられてたり枯れたりしてるけど、やっぱり綺麗。むしろ完全ではないからこそ生きている感じがして美しい。

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↓少しだけ夕日に照らされるブルーサルビア。斜めの構図を意識したり、一本だけちゃんと見えるように真ん中に置いた。

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↓夕日のお陰で金色に輝く葦。太陽は害にも益にもなるけど、今回は味方をしてくれた。

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地上全体を覆う雲に空いた穴から差し込んでくる太陽の温かい光は、さながら光の巨人が現れたのかと思ってしまうような雰囲気を感じさせる。

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冠水と夕焼け:淀川河川公園枚方地区

撮りに行くことになった経緯

10月22日の夜は外が騒がしかった。

電車の通過音やバイクのマフラーの爆音は毎日聞いていて慣れているから特に気にしないのだが、昨夜は雨によって窓が平手で叩かれるような音がして不気味だった。

窓に打ち付けられているのはただの雨粒のはずなのだが、強風のおかげで威力が増していたらしい。実際ヒューヒューどころかビュオオオオというような音が延々と聞こえていた。この2つのコンビネーションのせいなのか、物が壊れるような音が外からよく聞こえた

 

そして23日、幸い今日は晴れだった。ということで昨日の雨の影響で淀川がどういう状況になっているのだろうかと、一眼レフを片手に写真を撮りに行ったのであった。今回で17回目の淀川だった。

 

淀川の様子

午後4時30分ぐらいの時点で水はかなり引いていた。引いてからあまり時間が立っていなかったのか、地面はどこもぬかるんだままであった。ところどころにゴミや木が落ちていた。公園の入口にある車両進入禁止用のゲートには大量の木の枝が引っかかっていて、車が通れない状況になっていた。

 

youtubeに10月23日の淀川の様子を写した動画がアップロードされていた。

資料として動画を貼っておきます。

↓関西医大付近で、広場が奥の方に写っています。


夕陽ライブ1023@大阪枚方 17時頃(淀川増水中と夕陽・ためにしき)

が浸水しているのを確認した。

 

↓こちらは高槻側です。かなり水位が高いです。恐らく朝に撮られたもので枚方側もかなり浸水しているはずです。


2017.10.23大阪 枚方大橋 淀川河川敷 増水 台風21号の脅威

 

↓これは私が撮った動画です。増水は既に収まっている様子でした。


淀川河川公園 枚方地区 増水 16時40分頃 増水の様子

 

 

撮った写真

 

 ↓葦と夕日。相変わらず葦はいつものように風に煽られてよくたなびいていました。この下の地面はぬかるんでいて靴が2センチぐらい埋まっていました。歩くたびにグジョって音がして足跡ができたり、泥が飛んでズボンに付きました。それにビールの空き缶や木の枝などが落ちていました。流されてきたのでしょう。

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↓写ってる水面のほとんどは、冠水していなければいつもは道路や芝生です。上の夕日が綺麗なのとは対蹠的で、下では自然の脅威を肌で感じます。やはり自然と付き合うのは一筋縄ではいかないのですね。

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↓砂浜の渚のように見えますし、実際に波打っていました。音は聞こえませんでしたが、小さな波が打ち寄せていました。

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↓冠水と人工物。自然を支配するという近代の考え方はある意味で悲しいですよね。そのような考え方が存在しえるほどには自然によって人間が殺されていたわけですから。技術がいかに人間にとって重要であるかを感じました。

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↓柵のそばにサイクリングロードやその一段下にも道路があったんですけどね。茶色に濁った水がザアっと音を出しながら流れていました。いつもは釣りをしている人や、散歩している人や、ロードバイクで走ってる人とか、楽器を弾いている人とかいるんです。自然と人間が一体であることを実感しました。

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↓バーベキュー広場が水浸しになっています。この奥のグラウンドやステージみたいなところも完全に浸水していて影も形もありませんでした。

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↓また渚のような写真。地上が大変なことになっていることは一切知らないかのように、太陽が帰ろうとしています。

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 ↓淀川水位観測所という鋭利な先端を持つ塔が水面に反射しています。普段ならこんなことはないんですけどね。ある意味今だからこそ見れる現象ですね。

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「キャシャーン sins」全話視聴後の感想:精一杯生きる

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目次

 このアニメを見ることになった経緯

最近、「インフィニティフォース」という、タツノコプロのヒーロー達がアベンジャーズみたいに集結して戦うアニメが今期で放送されている。

ニコニコ動画でもこのアニメが無料で配信されており、私はいつもニコ動で見ている。ガッチャマン、ポリマー、キャシャーンテッカマンの四人が主役級キャラとして活躍しているが、劇中ではキャシャーンは重い雰囲気を醸し出しているように感じた。

例えば、2話の人間ではないという発言、3話でたけしの独断専行を痛みを与えて阻止したシーン、これらが凄く気になっていた。

私は4人が登場するアニメを見たことは一切ない。だからキャシャーンの言葉に一体どれほどの重みがあるか分からなかった。

分からなかったこそ気になって、これらのシーンをきっかけとしてキャシャーンのアニメを見てみようと思った。

それで「キャシャーン」で調べてみた所、「キャシャーン sins」が約10年前に放送されていることがわかった。私はいきなり何十年前のアニメを見るより、まずこれを見てからまた判断しようと思って見ることにした。

 

 印象に残ったストーリーの断片的なあらすじ

1話から24話まで一気に見た。

 

「永遠の命を持っていたはずのロボットに突然『滅び』つまり寿命が与えられた。部品の交換はできず、ただ己の身が朽ちていくの待つのみ。」(ロボットになぜ五感をあるのか、なぜ意識があるのかの技術的問題はここでは重要ではない。)

劇中ではこの状況に対する様々なロボットの回答を提示してくれた。死を受け入れるもの、永遠の命を求めるもの、希望を追うもの、なにかを残したいと願うものなど、生きていると実感したいものなど、様々なものがいた。中には人間の持つ恋愛感情に目覚めるものもいた。

死への恐怖は必ず死ぬと知っている人間にすら巨大なものとしてあるのに、本来死ぬはずのないロボットが突然寿命を設定されたらどうなるのだろうか。まさに青天の霹靂、人間に当てはめれば、突然あと余命は半年だと宣告されるようなものだろうか。

 

こんな荒廃しきった状況の中、キャシャーンだけは不死身であった。その特異性は彼自身を苦しめた。しかし、旅を通じて苦しみつつも学んでいった。死ぬとわかっているからこそ、今ある生を精一杯に生きていくこと、命を燃やすことを美しいと感じた。それこそが「ただ命がある」のと「生きる」のとの間にある違いだと知った。永遠の命に「死」はない、つまり「生きる」こともない。そのような「ただ命がある」状態では死んでも生きてもいない、あまりにも悲しい状態であると知り、癒やしは救いにはならないと知った。

といってもやっぱり好意を抱いていた人物が死ぬのは嫌、だからキャシャーンはリューズの最期の間際に「死ぬな」と言った。そしてルナに死を忘れさせるなと告げて去っていった。

 

 感想

 

確かにキャシャーンは実体験として生と死を理解していないということは間違いない。

しかし、分からないなりにも共感する努力、理解しようとする努力はしている。私は劇中では彼ほどに優しい者はいないと思った。それは確かに生と死が存在しない悠然さからくるものであるかもしれないが、その気になれば世界を簡単に支配できるのにそれをしなかった。むしろ自分を忌むべき存在としてい見ていた。

私は彼の優しさに胸を打たれた。現実世界ではこのような者は存在しないのだろうか。余りにも強く、余りにも優しい。そんな人間が現実にいたらと思ってやまない。現実には様々な犯罪が横行している。私の興味範囲では特に性犯罪が惨たらしいものだと思っている。「魂の殺人」。幸い劇中ではロボットが主に登場していたのでそのような犯罪はでてこなかったが、殺人や窃盗は至る所で行われていた。キャシャーンはそれを止める側ではあったけれども、行う側で合ったらと思うとゾッとする。まさに秩序がない世紀末における救世主のようであった。

 私はこのアニメに感銘を受けた。今を精一杯生きるからこそ意味のある人生を送れるのだと思うことができた。全体的に暗く重い設定のアニメではあったが、希望はあった。

ストーリーの道筋が人間の人生みたいで生きているように感じられて、作品そのものが生きているように思えた。

キャシャーンはこれからも観察者としてこの世界を見守ってくれる。そして下のブログの最後にある

リンゴの正体。それは成長し、限りある「命」を持った最初のロボ

 の記述。彼女は自身のような存在がこれから増えることを願っている、フレンダーと一緒に。

blogs.yahoo.co.jp

恥ずかしながら、私は「私は恐らく成長し、限りある『命』を持った最初の・・・」の「の・・・」に続く部分がよくわからなかった。

私はロボットが子どもを作ることができるようになって、初めてリンゴが子どもを作ったのかと思っていた。「持った」を「お腹の中に授かった」と解釈していた。だから「の私の子ども」なのかと思っていた。レダはロボットによって新たな生命を作ることを望んでいた。それが実現したのかと思っていた。

しかし、このブログでの記述での方が信憑性が高いと思われる。

 

終わりに

アニメで泣いたのは久しぶりだった。

一気に視聴した後ボーーッとしていたせいでどこで泣いたかもう覚えていないが。このアニメは感情移入次第でどのシーンでも泣ける気がする。殺人をしたり、窃盗をしたり、誰かを襲ったりするモブロボットたちも、このアニメの中では荒廃しきった状況が産んだ悲劇の子であった。

そう思うと本当に悲しい世界を上手く表現できていると思う。

この作品は素晴らしかった。