かしこいに

大阪府在住の京都にある大学の学生。写真と読書が趣味です。

淀川での無計画な写真 

今日は日曜日。時刻は午後3時。自室の窓から差す陽の光は、こたつの上に置いてあるノートパソコンを明るく照らしていて、いつのまにかにできた小さな傷がよく目立っていました。天気はまばらに雲がある程度の快晴。まさに写真日和。そんな絶好の環境で淀川へと繰り出したものの、何をどう撮ろうかなど一切考えていませんでした。

その結果、案の定1時間半の滞在の間に良さそうなものは1枚も撮れませんでした。

ですので、「計画を立ててから外出しようね」という当たり前のことを言いつつ、自戒の意味を込めて自分の写真に自分なりの批判を加えながら晒そうと思います。

「折角外出したんだしもったいないから記事にしよ」という下心の現れでもあります。

浅薄でごめんなさい。

兎にも角にも、自身の撮影のレベルが低いという現実を知ることができたのは良かったです。

 

 

↓真ん中にスズメが写っている。ただそれだけです。特に意味はありません。スズメなら写真ではなくいつでも現実で見ることができます。特別な構図や意味がない限りただの記録写真で終わるのがオチですね。まさにこの写真のように。それに暗い。テニスコートを囲う二メートルぐらいある柵の出入り口のゲートの鉄骨の上に佇んでいました。

 

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↓だんご3兄弟よろしく3羽で、前から見て単横陣のように見えるだけの上と同じような記録写真。また暗い。当時の私は一体何を考えて撮ったのか。無計画さがにじみ出ています。

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↓偶然互いに近くにいたヘリコプターとトンビ。この2つの要素で何か面白い構図で撮れないかと思ったものの、技術不足、経験不足、想像力不足、スピード不足ででなんともつまらない写真になった。つまり、ただ2つの要素が写っているだけ。写っているだけ。そしてやっぱり暗い。

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↓葦と太陽。太陽の光が葦を金色に染め上げる。素材は良し、人はだめ。素晴らしい素材を活かせてない感じがしますね。下から撮ることによって葦と太陽以外の要素を排除したものの、そこからの構図も太陽光の使い方もいまいちパッと来ない。なんでパッと来ないかもあまり分からない。勉強不足です。

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↓ごちゃごちゃしています。マンションなのか水道管?なのか遠くに見える市街地なのか雲なのか夕日なのか空なのか、何を見せたいのかが見事にはっきりしていません。要素が多すぎます。おかしな構図のせいで多くのものが写ってしまっています。これでは記録写真以下ですね。

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↓空の要素を強めに出して他の要素を弱めました。その意味では上よりましですが、平行ではなくなっている上に、結局何を表現したいのかが伝わってこないです。「夕日があるね」で終わりです。夕焼けの美しさを殺してしまっています。

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枚方大橋の柵から撮りました。これにも特に意味はありません。ないんです。なんで枚方大橋の柵の要素を追加したのか。何も考えずになんとなく要素を増やすのは本当に意味不明です。

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↓水道のアーチの真ん中に太陽を置いてみたのですが、うーん・・・。もしかしたら面白いかなという淡い期待は泡沫となって消えました。それに不要な要素も沢山あります。要素はアーチ部分と太陽だけで良かったような気がします。

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↓太陽を遠くに置くことによって奥行き感がでているような気はします。黒で不要な要素を一応塗りつぶしています。それでも何を撮りたいのかはっきりしていません。たくさんある要素をまとめられていないです。

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参考書を買ってカメラの仕組みや技術、光の性質についてもっと勉強したほうが良いですね。それに一流の写真家の写真や、その他の一流の芸術に触れて感性を鍛えないとダメみたいですね。

全体的に勉強不足だと痛感しました。

まずは参考書選びからですね。

 

 

 

写真:淀川と夕焼け

やっぱり何度来ても楽しいですね。しかし帰る時毎回物足りない感がします。「次はもっと上手く撮りたいかな」と思いながらいつも家路につきます。

 

 

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写真:自然に触れたら救われる?

 

 

2017年11月3日17時くらいの淀川河川公園枚方地区で撮った写真を公開する。

 

↓ガードレールを真ん中に添えて対比の境界線の役をしてもらった。左にはマンションと空を覆う雲を置いて、人間の闇とした。右には雲の隙間から見える夕焼けとその光を反射させる淀川を置いて自然の美しさとした。左右の明暗のコントラストを意識してその闇と美しさの違いを強調したかった。

ここまでしてこの写真で何を言いたいのかを言うと、苦しい状況にある時、今一度自然に触れてみるのも良いんじゃないかなと言いたかった。

人間関係に疲れていたり、生きるのが辛かったり、もう死にたいとか思っていたりとかで人間の闇と向き合っている時、ふと自然の方を向いて、「あ、綺麗だな」ってちょっぴり思って、それでちょっとだけ救われる気持ちがしたり、もしかすると何か今後の自分の生き方のヒントになることを見いだすこともあるんじゃないかなって言いたかった。

私はたまに淀川をそばで眺めながらボーっとしたりしています。そういう時ってなぜだか凄く気持ちが良いんですよね。心が洗われる気分がするんです。悩みがあってもそれをポジティブに捉えられるようになったりします。

まとめると、人間の闇の部分に飲まれそうで苦しい状況にある時に、自然に触れることによって何かポジティブなことがあるかもしれないから、人間社会から飛び出して自然に触れてみるのも良いんじゃないかな、ということをこの写真で表現したかった。

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夕焼けと淀川と植物の写真:淀川河川公園枚方地区

過去に撮った淀川付近の写真で良さそうなものをせっかくですので公開しようと思います。

 

↓夕日と霧がかかった市街地と淀川の三層構造です。あの市街地は高槻ですね。

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↓左にたなびく葦と煌々と照り輝く夕日だけが見えるようにしました。夏の暑さが終わって秋の涼しさに入ろうとしかけている感じがします。

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↓なんだか非現実的な感じのする写真が撮れました。編集は一切していないです。JPGです。

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↓風で揺れている葦を撮りました。この風のお陰で多くの植物が種を飛ばして命を繋いでいくことができるのかと考えると、生物はまさに自然と一体なんだなと感じます。f:id:kasikoini:20171028135433j:plain

 

 

↓また夕日と葦。夕日を下に置いて空に向かって伸びていくような感じで葦を置いてみた。太陽よりも高い葦、面白そう。

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↓夕日に黄色く照らされたベゴニア。ところどころ虫に食べられてたり枯れたりしてるけど、やっぱり綺麗。むしろ完全ではないからこそ生きている感じがして美しい。

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↓少しだけ夕日に照らされるブルーサルビア。斜めの構図を意識したり、一本だけちゃんと見えるように真ん中に置いた。

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↓夕日のお陰で金色に輝く葦。太陽は害にも益にもなるけど、今回は味方をしてくれた。

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地上全体を覆う雲に空いた穴から差し込んでくる太陽の温かい光は、さながら光の巨人が現れたのかと思ってしまうような雰囲気を感じさせる。

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冠水と夕焼け:淀川河川公園枚方地区

撮りに行くことになった経緯

10月22日の夜は外が騒がしかった。

電車の通過音やバイクのマフラーの爆音は毎日聞いていて慣れているから特に気にしないのだが、昨夜は雨によって窓が平手で叩かれるような音がして不気味だった。

窓に打ち付けられているのはただの雨粒のはずなのだが、強風のおかげで威力が増していたらしい。実際ヒューヒューどころかビュオオオオというような音が延々と聞こえていた。この2つのコンビネーションのせいなのか、物が壊れるような音が外からよく聞こえた

 

そして23日、幸い今日は晴れだった。ということで昨日の雨の影響で淀川がどういう状況になっているのだろうかと、一眼レフを片手に写真を撮りに行ったのであった。今回で17回目の淀川だった。

 

淀川の様子

午後4時30分ぐらいの時点で水はかなり引いていた。引いてからあまり時間が立っていなかったのか、地面はどこもぬかるんだままであった。ところどころにゴミや木が落ちていた。公園の入口にある車両進入禁止用のゲートには大量の木の枝が引っかかっていて、車が通れない状況になっていた。

 

youtubeに10月23日の淀川の様子を写した動画がアップロードされていた。

資料として動画を貼っておきます。

↓関西医大付近で、広場が奥の方に写っています。


夕陽ライブ1023@大阪枚方 17時頃(淀川増水中と夕陽・ためにしき)

が浸水しているのを確認した。

 

↓こちらは高槻側です。かなり水位が高いです。恐らく朝に撮られたもので枚方側もかなり浸水しているはずです。


2017.10.23大阪 枚方大橋 淀川河川敷 増水 台風21号の脅威

 

↓これは私が撮った動画です。増水は既に収まっている様子でした。


淀川河川公園 枚方地区 増水 16時40分頃 増水の様子

 

 

撮った写真

 

 ↓葦と夕日。相変わらず葦はいつものように風に煽られてよくたなびいていました。この下の地面はぬかるんでいて靴が2センチぐらい埋まっていました。歩くたびにグジョって音がして足跡ができたり、泥が飛んでズボンに付きました。それにビールの空き缶や木の枝などが落ちていました。流されてきたのでしょう。

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↓写ってる水面のほとんどは、冠水していなければいつもは道路や芝生です。上の夕日が綺麗なのとは対蹠的で、下では自然の脅威を肌で感じます。やはり自然と付き合うのは一筋縄ではいかないのですね。

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↓砂浜の渚のように見えますし、実際に波打っていました。音は聞こえませんでしたが、小さな波が打ち寄せていました。

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↓冠水と人工物。自然を支配するという近代の考え方はある意味で悲しいですよね。そのような考え方が存在しえるほどには自然によって人間が殺されていたわけですから。技術がいかに人間にとって重要であるかを感じました。

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↓柵のそばにサイクリングロードやその一段下にも道路があったんですけどね。茶色に濁った水がザアっと音を出しながら流れていました。いつもは釣りをしている人や、散歩している人や、ロードバイクで走ってる人とか、楽器を弾いている人とかいるんです。自然と人間が一体であることを実感しました。

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↓バーベキュー広場が水浸しになっています。この奥のグラウンドやステージみたいなところも完全に浸水していて影も形もありませんでした。

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↓また渚のような写真。地上が大変なことになっていることは一切知らないかのように、太陽が帰ろうとしています。

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 ↓淀川水位観測所という鋭利な先端を持つ塔が水面に反射しています。普段ならこんなことはないんですけどね。ある意味今だからこそ見れる現象ですね。

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パワーポイントにMMDを活用することは利点だらけ

目次

MMDを使うことになった経緯

先日、大学の英語の授業でプレゼンテーションのパワーポイント役を担当することになりました。内容はロアルド・ダールのある物語の英語の文章の訳と解説でした。

もちろん解説も訳もしっかりしないといけないのですが、文字ばかりではつまらないそうで、「画像を使うと良い」と先生に言われたり、下の書籍も画像を使用すると良いと解説していたので、画像を使うことにしました。

加えて、ただ拾ってきた画像を使うだけでは誰にでもできて芸がなく、他と同じような月並みなものになってしまうので、自分が納得のいく画像を使いたいと思ってMMDを使いました。

MMDも誰にでも、しかも無料で使えますけどね。有志の方たちにはいつも感謝で一杯です。

 

スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン

スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン

 

 

拾った画像を使うことの欠点

私以外の全ての人がスライドに訳かどこかで拾ってきた画像を貼り付けていました。

画像はイメージで理解することができるので役に立ちます。

今回の場合では、すべての人が英語の文章の内容をそのままあらわすものとしての画像ではなく、似たような状況にある画像を持ってきていました。

ですので画像は文章理解後のイメージ化の補助としてしか機能しません。画像だけを見ても文章の内容を理解することはできません。あくまで似たような状況にある画像だからです。似ている、つまりイコールではないのですから、画像だけを見ても文章の内容は掴めません。先走って画像内の似ていないところを読み取ってしまえば、誤解一直線です。

結局は文章を理解してから「こういう内容だからこんな感じの画像を使ったのね」という、事後的な文章の理解の補助になるだけなのがオチです。これでも問題はないですが、誰にでもできるし、画像が役に立つのは文章を理解した後なので、インパクトや訴求力はあまりないと思います。

確かに文字だけでは想像ができないワードもあって役に立つときもありましたが、専門書ではなく物語ですからそう多くありません。

つまり、今回の場合では普通のイメージ画像はスライドの画像としてあまり適していませんでした。

 

一般化した欠点のまとめ

・誰でも簡単にできるので、オリジナリティに欠け、どこかで見たことあるような月並みなスライドになって印象が薄れる

・事後的に画像が役に立つ上、パワーポイント専用に調整された画像ではないので、視聴者が画像を見てもそれなりの印象しか与えることができない

・似ている画像に過ぎないので、画像を通じて推量しようとした場合誤解をする恐れがある

 

パワーポイントにMMDを活用することの利点

文章をMMDを使って画像化する。

MMDにとってこんなことは造作も無いことです。ただし必要なモデルが揃っていて、使用者がそれらを適切に使えることが前提ですが。

こだわればそれなりに労力はかかりますが、オリジナリティもインパクトもあるものとなります。

利点の理由のまとめ

・有志がたくさんいて、その分モデルも沢山あります。感謝。

・使いたいモデルを自由に選べるので、自分なりの組み合わせで表現できます

・必要なモデルが作られていなくても、MMD用のモデルを別のソフト、例えばblenderなどで自分で作ることができます。

・モデルの改造ができるPMX/PMDediterなど、周辺ソフトを使えば更に表現の自由度が格段に上がります。

・自由にモデルを動かせるので、パワーポイント映えするような構図やポーズなどにすることができます

MMDに慣れるまでに少し時間がかかりますが、慣れてからは自分が表現したい画像を作ることができるので、もう画像を拾う必要が無くなります。モデルを借りる必要はありますがそれらは今後も新たな表現の為に使える資産となります。しかし拾ってくる画像はその状況にあったものを選ぶので基本使い捨てです。

・なにかを「創る」感覚を体験することができます。

 

MMDを使えば基本的には慣れるまで時間が少しかかるという欠点さえあれど、数々のメリットが完全にそれを打ち消しています。

 

私の実例

それでは早速私の実例を見てみましょう。

MMD自体も久しぶりで、パワーポイントにMMDを使うのも初めてだったのでかなり苦戦しました。

黄緑色で塗りつぶしたところは英語の文章があった部分です。

日本語訳を一緒に付けます。これは私が訳したものなので正しいかどうかは少し怪しいです。おまけ程度に見てください。とにかくパワーポイントにMMDを使うことの雰囲気を感じ取っていただけたら幸いです。

 

キャラクターは流石にオリジナルを創るのは莫大な時間がかかるので借りました。モデラーの皆様には感謝で一杯です。

 

↓一枚目でいきなり顔をアップ。集中線は後付けです。ネットの無料の集中線配置サービスを使いました。このキャラは東方project風見幽香さんでメイトラン役です。

日本語訳:「白状しなさい!話をしていたのは誰ですか?」

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↓日本語訳:私たちは静かにしたままベッドにうずくまっていた。

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進撃の巨人でお馴染みのエレンさんはとィーディ役です。

日本語訳:しかしちょうどその時、仰向きの状態で口を開けて真っ先に眠リ始めたトゥイーディがまたいびきをかいた。

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↓日本語訳:メイトランは彼を睨んだ。そしてこう叫んだ。

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↓日本語訳:「いびきは虫酸が走る習慣です。そんなことをするのはお前よりも低学年のクラスの者たちだけだ。どうやらお前にはお仕置きをしなければならないようですね。」

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↓日本語訳:彼女は明かりを付けずに部屋の中へと入っていき、

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↓私が作った石鹸モデルがちょびっと写ってます。といっても時間がなく10分の即席で作ったので、どう見ても石鹸には見えないのですが。

日本語訳:一番近くにあったたらいの中から石鹸を一つ拾い上げた。

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↓この光もモデルとして使えます。感謝。

日本語訳:寝室全体が廊下にある裸電球の放つ淡く滑らかな赤熱の光によって照らされていた。

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↓この黒いモデルPMXediterで真っ黒にしてモブにしました。元はエレンくんです。それともうちょっとメイトランを見ている感じを出すべきだったかなと思っています。頭がメイトランの方へと向いているだけではわかりにくいですね。

日本語訳:意を決してベッドから起き上がろうとする者は一人もいなかった。しかし、今や全員の目の向く先はメイトラン以外にはなく、彼女がこれから何をするのかを見るためにそうしていた。

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↓ある身体の動作を表すフレーズの説明をする為に、この画像を用意しました。

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↓日本語訳:彼女は腰に付いている白い紐にいつも鋏を吊り下げていた。

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 ↓この四角いもの、私が作りました。よくある小さくて丸い長方形をした白い固形石鹸のモデルがなかったのです。ですので急遽blederで作ったのですが、そっちは完全な初心者でこれが限界でした。

日本語訳:それを使って片方の手の中で、石鹸を薄くて細長い小片に削り始めた。

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↓日本語訳:それから不幸なトゥイーディが寝ているベッドの目の前へと歩いていった。

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 ↓フレークを落とすシーンです。落とされている石鹸をどう表現すればいいのか考えました。フレーク状の石鹸などというピンポイントなモデルはさすがにありません。ですので何か代替物を探しました。結果、「紐」になりました。直線の紐をメイトランの指先からトゥイーディの口へとセットしました。何かを落としているんだなということが文脈でつかめるだろうと思ったからです。紐のテクスチャは最初は模様付きの茶色でしたが、PMXediterで真っ白に染めました

日本語訳:すると彼女はフレーク状になった石鹸を細心の注意を払いながら彼の開いた口へと流し込んだ。石鹸を手のひらいっぱいに抱えていて、私はメイトランが彼にあれを流し込むことをやめるなんて絶対にないだろうと思った。

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終わりに

私程度の技術力では奥深い表現をすることはまだ到底叶いませんが、MMDで検索をしてみると素晴らしい静止画だけでなく動画もたくさんあります。解説動画、サイトも豊富でwikiもあり、初心者の補助は充実しています。

簡単な表現であれば本当にすぐにできてしまいます。なんならキャラのポーズデータの配布すらされていますからね。

 

さあ!あなたもMMDライフを始めましょう!!!

 

 

 

 

「キャシャーン sins」全話視聴後の感想:精一杯生きる

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目次

 このアニメを見ることになった経緯

最近、「インフィニティフォース」という、タツノコプロのヒーロー達がアベンジャーズみたいに集結して戦うアニメが今期で放送されている。

ニコニコ動画でもこのアニメが無料で配信されており、私はいつもニコ動で見ている。ガッチャマン、ポリマー、キャシャーンテッカマンの四人が主役級キャラとして活躍しているが、劇中ではキャシャーンは重い雰囲気を醸し出しているように感じた。

例えば、2話の人間ではないという発言、3話でたけしの独断専行を痛みを与えて阻止したシーン、これらが凄く気になっていた。

私は4人が登場するアニメを見たことは一切ない。だからキャシャーンの言葉に一体どれほどの重みがあるか分からなかった。

分からなかったこそ気になって、これらのシーンをきっかけとしてキャシャーンのアニメを見てみようと思った。

それで「キャシャーン」で調べてみた所、「キャシャーン sins」が約10年前に放送されていることがわかった。私はいきなり何十年前のアニメを見るより、まずこれを見てからまた判断しようと思って見ることにした。

 

 印象に残ったストーリーの断片的なあらすじ

1話から24話まで一気に見た。

 

「永遠の命を持っていたはずのロボットに突然『滅び』つまり寿命が与えられた。部品の交換はできず、ただ己の身が朽ちていくの待つのみ。」(ロボットになぜ五感をあるのか、なぜ意識があるのかの技術的問題はここでは重要ではない。)

劇中ではこの状況に対する様々なロボットの回答を提示してくれた。死を受け入れるもの、永遠の命を求めるもの、希望を追うもの、なにかを残したいと願うものなど、生きていると実感したいものなど、様々なものがいた。中には人間の持つ恋愛感情に目覚めるものもいた。

死への恐怖は必ず死ぬと知っている人間にすら巨大なものとしてあるのに、本来死ぬはずのないロボットが突然寿命を設定されたらどうなるのだろうか。まさに青天の霹靂、人間に当てはめれば、突然あと余命は半年だと宣告されるようなものだろうか。

 

こんな荒廃しきった状況の中、キャシャーンだけは不死身であった。その特異性は彼自身を苦しめた。しかし、旅を通じて苦しみつつも学んでいった。死ぬとわかっているからこそ、今ある生を精一杯に生きていくこと、命を燃やすことを美しいと感じた。それこそが「ただ命がある」のと「生きる」のとの間にある違いだと知った。永遠の命に「死」はない、つまり「生きる」こともない。そのような「ただ命がある」状態では死んでも生きてもいない、あまりにも悲しい状態であると知り、癒やしは救いにはならないと知った。

といってもやっぱり好意を抱いていた人物が死ぬのは嫌、だからキャシャーンはリューズの最期の間際に「死ぬな」と言った。そしてルナに死を忘れさせるなと告げて去っていった。

 

 感想

 

確かにキャシャーンは実体験として生と死を理解していないということは間違いない。

しかし、分からないなりにも共感する努力、理解しようとする努力はしている。私は劇中では彼ほどに優しい者はいないと思った。それは確かに生と死が存在しない悠然さからくるものであるかもしれないが、その気になれば世界を簡単に支配できるのにそれをしなかった。むしろ自分を忌むべき存在としてい見ていた。

私は彼の優しさに胸を打たれた。現実世界ではこのような者は存在しないのだろうか。余りにも強く、余りにも優しい。そんな人間が現実にいたらと思ってやまない。現実には様々な犯罪が横行している。私の興味範囲では特に性犯罪が惨たらしいものだと思っている。「魂の殺人」。幸い劇中ではロボットが主に登場していたのでそのような犯罪はでてこなかったが、殺人や窃盗は至る所で行われていた。キャシャーンはそれを止める側ではあったけれども、行う側で合ったらと思うとゾッとする。まさに秩序がない世紀末における救世主のようであった。

 私はこのアニメに感銘を受けた。今を精一杯生きるからこそ意味のある人生を送れるのだと思うことができた。全体的に暗く重い設定のアニメではあったが、希望はあった。

ストーリーの道筋が人間の人生みたいで生きているように感じられて、作品そのものが生きているように思えた。

キャシャーンはこれからも観察者としてこの世界を見守ってくれる。そして下のブログの最後にある

リンゴの正体。それは成長し、限りある「命」を持った最初のロボ

 の記述。彼女は自身のような存在がこれから増えることを願っている、フレンダーと一緒に。

blogs.yahoo.co.jp

恥ずかしながら、私は「私は恐らく成長し、限りある『命』を持った最初の・・・」の「の・・・」に続く部分がよくわからなかった。

私はロボットが子どもを作ることができるようになって、初めてリンゴが子どもを作ったのかと思っていた。「持った」を「お腹の中に授かった」と解釈していた。だから「の私の子ども」なのかと思っていた。レダはロボットによって新たな生命を作ることを望んでいた。それが実現したのかと思っていた。

しかし、このブログでの記述での方が信憑性が高いと思われる。

 

終わりに

アニメで泣いたのは久しぶりだった。

一気に視聴した後ボーーッとしていたせいでどこで泣いたかもう覚えていないが。このアニメは感情移入次第でどのシーンでも泣ける気がする。殺人をしたり、窃盗をしたり、誰かを襲ったりするモブロボットたちも、このアニメの中では荒廃しきった状況が産んだ悲劇の子であった。

そう思うと本当に悲しい世界を上手く表現できていると思う。

この作品は素晴らしかった。

 

 

 

京都市動物園の動物たちの写真

先日10月1日に京都市動物園で動物の写真を500枚くらい撮ったので、そこから選んで公開しようと思います。

 

↓まずはライオンから。もうおじいちゃんのライオンだからか、睡眠中にはなんとも愛くるしいお顔になっています。

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↓下を見るライオンと檻。「下を見る」って色々と便利な妄想ができます。少し悲壮的な感じがします。

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↓ただの可愛い猫にしか見えませんね。

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↓暗いものを背負っているような感じ。

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↓次はアムールトラ。真正面から睨まれると怖いですねやっぱり。

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↓また睨まれて・・・微妙にずれてるかな。

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↓またです・・・。

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↓どこか遠くを見ているように見えますが、一体何を見ようとしているのでしょうか。

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↓よく目があいますね。

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↓微妙に目があってない。けどかっこいい。

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↓牙と少したれている涎が恐ろしい。今にも食いちぎられそう。

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↓次はジャガーさん。小さな部屋にずっといました。時々上を見上げていましたが、上にあるのは普通の天井だけです。暇だから天井を見ていたのでしょうか、それともなにか別のことででしょうか。

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フェネック。鼻を舐めています。かわいい。

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↓丸まって眠っています。か わ い い

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↓からだをかいているフェネック。なにをしてもかわいい。

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↓ブラックジャガー。たまたま目が合いました。檻があっても怖いものは怖いです。

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↓黒くなっているからといって斑紋がないわけではないんですよね。薄っすらと見えます。

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レッサーパンダ

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↓ミーアキャット

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↓なぜか間に顔を突っ込もうとしている山羊。

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↓真正面からのキリン。

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アカゲザルさん。なんだか哀愁を感じる。

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フンボルトペンギン。近くから見ると面白いですね。

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ワシミミズク。じろりと睨まれました。

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↓ムササビ。「なに覗いてんねん」みたいな顔をしています。

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↓ニホンリス。端っこで隠れながらどんぐりを食べている姿がかわいい。

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アニメ「はじめてのギャル」から考える「理想と現実」

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当記事では、アニメ「はじめてのギャル」の全話を見てからの感想と、当アニメを通して考えた理想と現実について述べていきます。。

 

始まりはニコニコ動画で一話が無料配信されていたのを、なんとなく見たことから始まりました。当時は八女さんかわいいなー程度にしか思っていませんでしたし、どこかで見たことがあるようなありふれてそうな展開だなあと思っていました。

 

しかし、話数を追っていく内にその評価は変わっていきました。最終話を見た後ではじぎゃるのストーリーを頭のなかで現実と照らし合わせてみたところ、この作品には現実と理想という2つの要素があるのを感じました。

当然、原作が漫画ですから理想の部分が多いのは言うまでもないです。しかし、ところどころで現実的な側面が出てきますし、それが物語の進行要素として重要な役割を持つこともあります。前半ではジュンイチの友達に八女さんへの告白を強制させられたり、後半ではジュンイチの少し卑屈な考え方を口にして八女さんを傷つけてしまったりなどですね。

これらは十分に現実でも考えられます。なんせ私自身、罰ゲームでの強制告白をさせられてことがありますし、相手の気持ちを汲み取れきれずに的外れな発言で相手を傷つけてしまったことがたくさんありました。

理想の具体的部分は挙げればキリがないでしょうから、ここでの言及は控えておきます。しかしあえて言うのなら、作者の考える読者の理想か、作者の理想の2つから端を発するものでしょう。

 

この作品の場合で言えば、理想と現実のバランスで言えば、6:4のような気がします。

余りにも理想的な部分が多いように思えたのに、なぜか現実的な感じが結構したんですよね。現実という骨に理想の組み込みという肉付けしていったという感じがするんですよね。

 

随所で現実のような感覚を残すからこそ、ありふれた理想のはずなのにその理想が際立って見える。理想と現実がこのアニメではよく見える。そんな気がします。

 

そして後半になればなるほど彼女彼らは現実の人間らしくなっていくのだが、理想がここぞとばかりに現実に色を加え、理想と現実を混ぜ合わせたハッピーエンドを作り出す。そしてジュンイチと八女さんは幸せなキスをして終劇。

 

言ってしまえば、ジュンイチは基本的に性欲に従って動いているだけでした。まさしくどこにでもいそうな高校生といったところです。しかし、アニメなのでどこにでもありそうな、それこそネットやゲームやエロにはまって女友達の1人もできないような高校生活で終わるはずはありません。作品ですからね。彼には輝かしいストーリーが用意されています。

 

 

どうして私たちはこのようなこの作品で見られるような「誰かと幸せになるという理想」を追い求めるのでしょうか。昔からよくある話でしょう。ボーイ・ミーツ・ガール、ガール・ミーツ・ボーイなど、定式化されていますしね。

私たちはこの理想を「ほぼ無条件に」抱いています。

アリストテレスが言うように確かに私たちは1人では生きていけないという意味で社会的存在です。しかしだからといってそのような理想を抱かなければならないわけではないでしょうがやはりこのような理想を持つものがより良く子孫を残すことができたのでしょう。それに所属する社会が良いと掲げるこの理想を信じた者も同様でしょう。社会に上手く適応できる上に肉食系の人間の方がより存続しそうなのは容易に想像できます。

 

この理想に苦しんでいるのが羽柴ジュンイチであり私達でしょう。ジュンイチさんの方は一話で救済されていますが、私たちは下手をすると死ぬまでこの問題に足をすくわれ続けるでしょう。

「その年齢でまだ結婚してないのか」「お前の容姿じゃ結婚は厳しいだろう」「その年収で過程を持てるのか」「性格的に結婚は諦めろなど」

など、周りから延々とお説教を聞かせれる未来というのもあるかもしれません。しかし「現実は小説よりも奇なり」とあるようにそれはそれは面白い人生を歩む方もおられるでしょうが、ここではそれは話題としません。

「どうして、この理想を抱かなければならないのか、別に抱かなくたってよいのでは」と問うと「それは彼女ができないから言っているにすぎないただの言い訳だろう」おっしゃられるかもしれません。

それはある意味で正しいです。私は彼女なんて一度しかできたことがありませんし、その彼女との関係も数日で自然消滅しましたから、恋愛経験は0に等しいです。恋愛について一切知らないのに恋愛について疑うのはおかしいというのは十二分に理解できます。

誰かと幸せになるという理想は、その文言通りにただ幸せな気持ちでいられるからそうすべきとされてきたというのもあるでしょう。それ以上でもそれ以下でもない。だからこの理想について疑うとすぐに反発の声が挙がってくる。確かにそれは分かります。

 

しかし、アニメや漫画などで暗にこの理想を主張して回るがゆえに、負い目を感じてしまう人というのは現れ続けるでしょう。

 

「アニメの中で彼ら彼女らはあんなにキラキラしているのにこの現実とは一体なんだろう。」と考え込んでしまう人は少なからずいるでしょう。作品はあくまで虚構、一つの理想、一つの架空の世界でしかないです。ですから現実に照らし合わせて考える必要はない。しかし考えてしまう。

確かに現実とリンクさせているものもあるでしょうが、忠実に現実を再現するのは至難の業で、できる人は限られているでしょう。現実は余りにも複雑怪奇ですからね。そういうのが出てくるまでに、このような理想を暗に秘めた作品が川が反乱するがごとく溢れかえっているでしょう。

 

それこそ劇中での坂本慎平が何回も羽柴ジュンイチに怪しげなものを根拠に色々と吹聴して、負い目を感じるような悪ノリをさせようとしていたように、いつの間にかに暗に込められた理想に反応し、負い目を感じるなど現実に対して負の感情を抱いてしまう人がいても全くおかしくないでしょう。

だからアニメや漫画など作品は規制されるべきだなどと、わけの分からない事を言うつもりはありませんが、そういう側面もあるというのは間違いないでしょう。アニメや漫画を見て特に何の影響を受けない人というのも当然いるでしょう。しかし、その逆の人もやはりいるというのもおかしくありません。

 

現実に負の感情を抱く人たちは一体どうやってそれを取り除けばよいのでしょうか。私には皆目検討が付きません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私のフォトコンテストとの付き合い方

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 目次

初めてフォトコンに応募してみた。

一眼レフのD3300を購入してから大体一年が経ちました。それでせっかくだし簡単に応募できるものに参加してみるのもありなんじゃないかと思い、初めてフォトコンテストに応募してみました。

具体的にはデジキャパ!の月例デジタルフォトコンテストに応募しました。

このコンテストはネットでさくっと応募できるので、受付から終了までものの数分しかかかりませんでした。

それよりも写真の選定に時間がかかりました。ちなみにトップの画像は応募した画像ではありません。

ちなみに、結果は11月に発表されるそうです。

 

フォトコンと上手に付き合っていく

ここから写真初心者によるフォトコンとの付き合い方を自分なりに考えた結果を記していきます。

 

私が写真を撮る目的

確かにあっと驚いたりうっとりしてしまいそうな写真は素晴らしいの一言に付きます。しかし、それはあくまでプロの仕事であって私のような初心者が意図して取れるようなものではありません。

一年が経ったからと言ってまだまだ圧倒的に修行が足りず、それでもせっかくだからとフォトコンテストに応募しました。

 

そもそも私が一眼レフを買った理由は、自分が訪れた所や様々な行動を写真という媒体を通じて残したいという欲求からです。

 

フォトコンによる私の目的意識の動揺

そこには本来自己完結的な目的しか含まれていません。このブログで写真を公開しているのも、本質は技術向上の為であり、誰かに見てもらう為ではありません。

このフォトコンテストに応募した後で気づいたことは、この目的がブレ始めているのではないかということです。

フォトコンテストは写真という武器で誰かと戦う事を意味します。つまり目的とは完全に相容れないわけです。しかし、一時の欲求に負けて応募してしまった。確かに偶に道からそれてしまうことはありますし、人間故に仕方ないことです。他の例を上げれば、英語がそうです。私の英語学習はのっけから不安定でした。ですから、続いたり続かなかったりを繰り返して今はもう学習をしていません。

 

 

kasikoini.hatenablog.com

kasikoini.hatenablog.com

kasikoini.hatenablog.com

 

この3つの記事を読めば私が英語学習に対していかにブレブレな態度しか取ってこなかったかがわかると思います。

写真は英語と似たような結末になろうとしています。

幸い、私の写真の目的がはっきりしているから続かないということはないが、それがいつ別の目的へとすり替わってしまうかは分かりません。事実今日フォトコンテストに応募しました。つまり、自分に受けるためではなく、他人に受けるために写真を撮るという目的に変わりかけていたのです。だからといってフォトコンテストを貶すわけでは絶対になく、単純に私の目的とフォトコンテストとが相容れないと言っているだけです。

 

フォトコンと上手く付き合う方法

しかし、目的を抜きにして言えばフォトコンはメリットが多いです。賞を貰える可能性があったり、コンテストを通じて技術の向上を狙えたり、発見があったりと、それこそネットで探せばいくらでも出てくるぐらいにはメリットが有ります。しかし、目的とは相容れないのです。

正直、もったいない気持ちはあります。良さそうな写真が撮れたなら、それを使って応募してみたいという気持ちは一応あります。

ですから、本来の目的から絶対に離れない事を前提にフォトコンテストに参加する自分の条件を作りましょう。

今思いつく限りでは、

「フォトコンに応募するとしても、その為に写真を撮ることはせず、日々生活する中で撮った写真で応募する。」

というのが現状でのベストだと思います。フォトコンテストを舐めるなと言う声が聞こえてきそうですが、今のところ私にとってはこれがベストなので許してください。

 

私にとっての写真

「人生の一部始終であり完全な自己満足」

これが基本です。アマチュアの典型ですが、ただの趣味なのでこれで良いのです。

 

 

 

2017年8月30日 天王寺動物園で撮った動物たちの写真

先月初めて天王寺動物園へ行ってきましたのでそこで撮った写真を厳選して公開しようと思います。撮影した動物の種類は約125種類。合計で約800枚撮りました。

 

↓大きなあくびをするジャガーさん

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↓睨まれると怖い・・・

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↓ぐったりしているアムールトラさん

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↓ぐったりしているチュウゴクオオカミさん

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↓やぎさん。虹彩が横長なのが特徴的です。

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↓人みたいに見えるマレーグマさん

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↓コーンに頭を突っ込むホッキョクグマさん

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↓アタマがないように見えるシロフクロウさん。ちゃんとあります。

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↓胸の毛がハート型に見えなくもないライオンさん

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↓都会と動物園との対比のつもり。写っている動物はムフランです。

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フンボルトペンギンさんの横顔

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↓威嚇されてる?

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↓餌をもらってからの流れを4枚で紹介:一枚目

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↓魚をキャッチ:二枚目

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↓咥えたものの離して:三枚目

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↓リリース。個体によって魚の好みが違って、選んで食べているらしいです。だからこの個体はこの魚は気に入らなかったようです。:4枚目

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アミメキリンさんの目。目を強調することによってキリンは日々を何を見て何を思っているのかということを考えてくれたらいいなと思いました。

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↓ライオンの皆さんは昼寝中

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↓こっちを見てます。怖い・・・

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↓コッチを見るブチハイエナさん

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↓皆で寝てるオーストラリアアシカさんたち

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↓おおきなあくび

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アジアゾウさん。凄く器用です。

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漠然としたビジネス目的の英語学習はやめよう

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日本では学校や英会話スクールなど様々な所で英語が教えられています。

「グローバル人材」「グローバル社会」「国際化」

などなど、私達大学生にとっては実に新鮮で刺激的で向上心が溢れてきそうなワードを駆使して、教育機関は英語学習を推進しています。

ひとえに英語といっても、その学習の目的は千差万別です。

ビジネスのための英語であったり、学問としての英語であったり、誰かとただ純粋にコミュニケーションを取るための英語であったりなど実に様々な目的があります。目的が違えば学習の最終到達点も人によって違います。

近年の潮流を見ますと、英語を学習する多くの人はビジネスのために英語を学習しています。TOEICの存在とその受験者数の多さがまさにそれを裏付けています。TOEICの公式サイトで配布されている資料によりますと、2016年度こそ少し減っていますが基本的には増加傾向にあります。

 

大学生の言う「就職してから使うかもしれないから英語を勉強している」という言葉ほど危ない言葉はそうないと思います。

 

私たちは大学生です。当然働いたこと、つまり社員としての労動経験なんてあるはずがありません。

ですから大学の教授の英語なんてできて当たり前というお言葉とか、大学の事務員たちのグローバル人材になるために英語を勉強しようというお言葉とか、ネットの掲示板で英語ができると有利になるぞという書き込みとか、現実の会社からの要請ではなく、間接的に様々な媒体から影響を受けて英語学習をしているのです。中には明確な目標がある人も当然います。英語教師やキャビンアテンダントなど、明らかに英語が必要な職業を目指している人がそれでしょう。しかし、そのような明確な意思を持って英語を学習している人が一体どれだけいることでしょうか。

大学生達の多くは実際の労動においての英語の使用について漠然としたイメージしか抱くことしかできないのです。

働いたことがないのですから当然です。就職してから使うかもしれないから、といった漠然とした気持ちだけで英語学習をするしかないのです。このような曖昧な目的で英語学習を継続できるのでしょうか。

確かに英語ができて海外駐在などができれば確かに給料は高くなるとは思います。しかし、それを明確な目標として定めれば、英語学習を継続できるのでしょうか、疑問です。

それすらも漠然としたイメージにすぎないのですから。実感のない漠然としたイメージのみで莫大な時間を英語学習に費やせますか。

 

大学や企業は、大学生に対して、ビジネスにおいて英語を使うという場面を実感できるような体験を提供し、ビジネスで英語を使うということに明確なインセンティブを与え、ビジネスのために英語を学習するということの意味を明確にした方が良いと思います。でなければ漠然としたイメージからの不明確な目的を持ったがために英語学習を挫折してしまう人が今後も量産され続けます。

 

だから大学の言う「グローバル人材」「グローバル社会」「国際化」などのワードを効くたびに少し空虚な響きがするのをいつも感じるのです。

このような甘美な匂いのするワードに負けて英語学習を始めてしまう方は間違いなくいます。そして挫折します。当然です。英語学習の目的の根幹が空虚なワードなんですから。砂上どころか、空中の楼閣です。地面へ一気に落ちていきます。ある程度の時期が来ると、何のために私は英語学習をしてるんだろうと考える時期がやってきます。そして終わりが来ます。

 

ですから、今から英語学習を始めようとしている人たちは、自身の目的が明確であるかを絶対に確認してください。明確でないのならやめるべきです。英語ができないからと言って人生が不利になるわけでは決してありません。

そして既に不明確な目的を持って英語を学習している人は、今一度自身の英語学習の目的について問い直してください。自分で新たな明確な目的を作るか、英語学習をやめるかの二択なような気がします。

 

上記の偏見の大体のベースはこの記事を見ると良いです。私の場合ですと、最初は漠然とビジネスのために英語学習を始めたが挫折して、その後は英語そのものに面白さを見出すといった流れですね。今は明確な目標がないので英語学習をしていません。

kasikoini.hatenablog.com

 

 

 

4年間「納豆」を食べ続けてわかったこと

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はじめに

高校あたりから大学生ぐらいまでの期間、つまり男の私が四年間納豆を食べ続けて感じたことについて語っていきます。

わかったこと

かかる費用の高低

まず、食べる為にはまず納豆を買ってこないといけません。つまり、当たり前ですがコストがかかります。確かに納豆は3パックで100円程度とあまり食品としては高い値段ではありません。しかし、何か健康的な効果を得たいのならば、継続して摂取をしなければ意味がありません。

つまり毎日食べなければならず、継続的にコストが発生します。(当たり前ですが・・・)

普段食べている野菜の上に納豆をプラスをした場合、

例:3パックで108円の納豆を毎日1パック食べた場合

 365÷3=121.6(以降四捨五入)

122×108=13,176円 ・・・一年でかかるコスト

13,176÷12=1098円 ・・・一ヶ月でかかるコスト

となります。

この数字を見て安いと思うなら納豆を食べ始めても良いのではないでしょうか。私は今日までの四年間、つまり高校生のあたりから食べ始めたので大体5万円くらい支払っていることになります。

 

目に見えて分かるような効果はなかった

私が納豆を食べ始めた理由は、葛西紀明さんがテレビで「納豆すごい」と言っているのを見て触発され、それから納豆について検索して納豆の成分が良いと知ったからです。

それだけなら良かったのですが、あまりリテラシーがなかった自分ですから納豆を盲信してしまったんですよね。「納豆を盲信していた」なんて変な響きですが、「こんなに素晴らしい納豆さえあれば他に野菜なんていらないんじゃないか」などと意味不明な万能感を抱いてしまったんですよね。わけもなく万能感を抱いてしまうような高校生が私でしたので、納豆にもこれが派生してしまいました。中二病の一種です。

かくして、納豆は食べるけど他の野菜は一切食べないということを実践していました。 

そうなるとどうなっていったか。

栄養不足になって、肌荒れしたりニキビが増えたり体臭まで何だか臭くなったような気がします

当然大豆だけで全ての必要な栄養を十分に補えるはずありませんからね。

ここまで行って初めて自分の愚かさを知りました。やっと夢から覚めたような感じでした。

それからは野菜も取りつつ納豆を食べ続けるようにしました。

しかし、納豆しか食べていなかった時の状態からは回復した後から、いつまでたっても以前の食生活で普通に野菜を食べていた時以上の健康状態になれたとは思えませんでした

 

「納豆だけ」は当然だめ

これが全てです。自分がより健康になれたか自分で知ることはできません。せいぜい今日は気分が良いなくらいではないでしょうか。わからないからといって健康診断を何回も頻繁に受けるというのもあまり気分がすすまないでしょう。だから日々バランスの良い食事、そして他の生活習慣もより健康的にして自分でできることはやって、その上で定期的な健康診断を受けるのが良いと思います。

話を戻します。納豆は確かに栄養価が高い非常に優れた食べ物です。しかしそれに安住してはいけません。

あくまでひとつの食品に過ぎませんからね。過度の期待は禁物です。陳腐と言われても仕方ありませんが、やはりバランスが大事なのです。できる範囲内で様々な健康的な食品を継続的に組み合わせを考えながら食べていく、現在は結局のところこれが良いのです。

具体的には、緑黄色野菜にプラス納豆を加えるなど、そういう風にプラスアルファとして捉えるほうが良いと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

盗撮している人を発見したが足が震え体が凍って動けなかった

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去年、いつものように大学へ電車で通学していたある日、突然それは起きました。

 

クロスシートの電車内で、普通のサラリーマン風の服装で40~50代くらいの男性が、隣の席の若い女性の下半身をスマホで盗撮していたのです。彼のスマホを持つ両手は非常に震えていました。カメラのシャッター音が出る穴を必死になって抑えながら女性の下半身をパシャパシャと何枚か撮っていました。事はものの数秒で終わりました。

 

その女性は寝ていたので盗撮されていることに気づいていませんでした。シートは満席で私だけが立っていたのですが、他の乗客は私の立ち位置が悪かっせいで恐らく誰一人盗撮に気づいていなかったと思います。つまり、盗撮犯に対処できるのは私だけでした。

私が警察官であったなら即現行犯で逮捕していたでしょう。なんせ私の目の前で堂々と盗撮をしていたわけですから。簡単に図示すると

 

 前

乗客乗客 通 乗客乗客

乗客乗客 路 乗客乗客

女性男性 私 乗客乗客

乗客乗客   乗客乗客

後ろ

 

こんな感じで私のすぐ真横で、私から4~50cmぐらいしか離れていないところで堂々とやっていたのです。

本来ならその男性になにかしらのアプローチをかけるべきだったのですが、私は目線だけはその男性に向きながら、その場に凍りついてしまいました。

「え・・・は?え?え?は?嘘でしょ?まさか現実で本当にこんなことをやる人間がいるとは思ってもみなかった。」

盗撮を見た瞬間はこういう風に思いました。ネットやテレビを見れば盗撮関連の記事やニュース、さらに言えばそれっぽい動画なんていくらでも出てきます。しかし、それを生で、現実でそのような犯罪行為を見たことがある人は一体どれだけいることでしょう。かくいう私も完全にどこか別世界のことだと思っていました。私はやはり社会問題に疎く鈍いのだと痛感させられ、社会問題がいかにして社会問題足り得るかを理解しました。そこにあったのは生々しい現実でした。

 

そこで私は2つの選択肢を思いつきました。

①私が彼女に盗撮されていたという事を伝えず、その男性を捕縛し証拠を取り上げなければ、彼女は盗撮されていたなどとは夢にも思わずその日の生活を送ることができる

②自身の推量など無視して犯罪を見逃さずにきっちり対処する。男性に小声で話しかけスマホをおさえ、女性を起こして隣の男性はあなたを盗撮していましたと言い、警察へと連れていく

 

つまり、動くか動かないかでした。タイトルの通り、私は動けませんでした。

盗撮を見て、非常に強い嫌悪感を抱きました。まして、もし盗撮されている事をあの女性が知った場合、彼女が受ける精神的苦痛というのは想像を絶するものだったでしょう。

私は盗撮犯が悠然と電車を降りていく姿を眺めることしかできなかったのです。何の行動も起こすことができなかった。悔しくて仕方がなかった。泣きたかった。

②を実行した場合、女性がこれから被るであろう精神的苦痛を考えると、完全に足がすくんでしまったのです。あくまで推量でしかないので実際に女性が盗撮を受けたことを知った場合にどういう気持ちになるのかは分かりませんが、少なくとも気分が最悪以上のものになることは間違いないでしょう。

「知らない方がいいこともある」私の脳裏にそんな言葉がよぎり、結果として①を選びました。つまり何もできずにただ盗撮犯が降りて行くまでずっと傍観するだけでした。

 

懺悔のつもりで書きました。行動を起こせばよかった、今は強くそう思います。次があれば必ず行動を起こします。もちろん、そんなことをする機会はないに越したことはないでしょうが。

 

 

 

知的好奇心があれば「けものフレンズ」は面白いと思える

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まとめ:知的好奇心があればけものフレンズを面白いと思える事は間違いない。

 

最近というか半年前からアニメ系の話題といえば「けものフレンズ」を欠かすことは出来ないだろう。
かくいう私もけものフレンズにどっぷりとはまり込んでいる。ガイドブックは現在5巻まで所持していて6巻は予約済み、それに漫画版も買った。

今となってはけもフレにはまっている私だが、4話放送時点までは一切けものフレンズに興味がなかった。なぜなら、ニコニコ動画で一話が配信されてから一週間後ぐらいにこれを視聴してみたのだが、開始後たった2分で切ってしまったからだ。まさに動画のコメント欄でよく見られる「入園試験」に合格することができなかったのだ。
具体的には

サーバルの声になんだかゾワッとした。
・セリフがあまりにも子どもっぽくて内容が薄そうだと思った

以上2つの理由で視聴を続けることができなかった。それから数週間ぐらいはけものフレンズが人気になることはないだろうなとか、なにが面白いのかさっぱりわからないななどと思っていたが、この作品をそもそも理解していなかったのだから面白いと思えないのも当然だったと思う。

 

4話の放送が終了し、それの考察記事がネットで盛んだった頃、ある記事をきっかけにこの作品への見方を180度転換することになった。

 

honeshabri.hatenablog.com

 

この記事で知的好奇心を刺激され、けものフレンズに対する興味が俄然出てきた人は多いだろう。当然私もその例に漏れず、「こんなに深い作品だったのか!?」などと驚き、自身のけものフレンズへの無理解を恥じたのは良い思い出である。

この記事を読んでからはけものフレンズへの偏見がなくなり、逆にこれは間違いなく面白いと思うようになった。

・人間とは何か

・人間はどこから来てどこへいくのか

・人間とその他の動物との違いはなにか

・人間は動物といかに付き合っていくべきなのか

・人間のあり方

など、根源的なテーマを扱っているように見えるのに、面白いと思わないわけがなかった。

それにたつき監督や吉崎観音さんや声優さんについても調べていく内に、ますます私の無理解を恥じ入る事になったし、この作品が緻密に練り上げられてきたことを知ることが出来た。

上の記事がなければ私はけものフレンズにハマることもなく、それへの偏見を持ち続けることになっていたと思う。それに物事に対して短絡的な偏見を持つことが如何に危険であるかを身をもって体験することが出来たのは良い経験になったと思う。

 

 

つまり、知的好奇心があったからこそけものフレンズを面白そうだと思えることができたし、実際にそのおかげでどっぷりとハマることが今もなお出来ているのだ。もしこのアニメを視聴しようか悩んでいる人がいたら、けものフレンズは知的好奇心を刺激してくれる作品だと言ってあげよう。知的好奇心を持っていれば安心してこの作品を見ることできるよと。

けものフレンズのこれからが気になって仕方がない。