かしこいに

大阪府在住の大学生。写真、英語、書評、思いつき、考察など。

けものフレンズにおけるサンドスターの意図についての考察

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多くの人はこう思っているのではないだろうか。

「フレンズはみんな優しくて協力しあって生きている。なんて美しい関係だろうか」

と。

 

しかし、なぜそのような関係であるかを疑った人はいるのだろうか。サーバルジャガーもアルパカもツチノコもプレーリーもヘラジカもみんなみんな優しい。

優しすぎてその優しさを疑う事はもはや野暮であるという感が否めないがそれはさておき。

 

一端立ち止まって欲しい。普通の自然に生きる動物がいきなり人間の言語力を持ったとして、彼女たちはどのように行動するだろうか。

いくら日本語の能力や一般常識を手に入れたからと言ってそれに従う義務はない。いつも通り他の動物を殺して食べても良いのだが、彼女たちはそれをしない。というか寧ろ積極的にコミュニケーションを取ろうとする。つまり動物を殺して食べるという生存本能だけが非常に強く抑制されており、反対に人間の能力の内の言語力(コミュ力と言って良いかもしれない)だけが非常に強調されている。この強調というのは違和感を感じる人がいるかもしれないが、私にはむしろある動物とある動物が人間の言語で会話するという絶対に有り得ない状況の方に違和感を覚え、これはやはり何かあるのではと思っている。

この現象を見るに、サンドスターは理由はまだわからないがコミュニケーションを取りたいと考えているのでは無いだろうか。

理由については全く見当もつかないが、それっぽく考えるなら、「あるべき未来」と「過去への償い」という2つの意図を感じた。特に後者は、動物とは直接には関係のない、人間がいると思っただけの動物や絶滅動物すらも問答無用にフレンズ化させるということに関係がありそうだからだ。前者はフレンズの存在という新たな可能性、つまり漫画版にて「フレンズは人間と動物との間の架け橋になれる存在」として扱われているからだ。

ではそもそもなぜそのような意図を持っているかについてはもはや現実に対しての問題提起のためというメタ的展開としか思えない。

 

ではセルリアンはなぜフレンズを捕食し、元の動物に返すという全くもって意味不明な行動をとっているのだろうか。これを強引に解釈するなら、いわゆる人間に対して試練を課しているのではないだろうか。問題提起のためにサンドスターを出したと仮定するなら、必ずそれに関連していないと貫徹的ではない。

気になるところはサンドスターローである。なぜ「ロー」なのか。これは恐らく'raw'を表しているのではないだろうか。現在までの過去の業でもって地球の怒りに触れ、最初にこちらが放出され始めたから'raw'であり、こちらはセルリアンを生み出すのであまり良いものとは言えない。きれいな方のサンドスターは地球の慈悲によって二次的に生み出されたものである。これはフレンズという友好的存在を生み出すから、そのまま一つ目のありがたくないサンドスターの方を避けてこちらをサンドスターと読んでいるのではないだろうか。

フレンズにしかセルリアンを倒せず、フレンズたちの知能は皆が皆良いというわけではないので上手く連携できなければあっという間にフレンズがやられて人間もやられてしまう。そこをサンドスターは見ていてのだがアニメ版はその連携が失敗した世界、とも捉えることができる。

 

それにフレンズ時においては元動物の特徴的な能力が強化される。

漫画版に於いてサーバルの300kgの岩をを持ち上げる描写がある。これはよくある、もしこの動物が人間サイズならコレぐらいの能力があるだろうというのと似ている様に思うのは私だけでは無いはずだ。果たしてなぜこのような描写をしたかについては大いに考えるべき余地がある。これは単純に動物を舐めるなよ、という示威行為に見えなくもない

らき☆すたとけものフレンズから成長と幸福のあり方を学ぶ

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当記事は7000字以上あります。心して読んで下さい。

 

まとめ

  •  「成長」というのは特に進化の促進という意味において価値がある。そしてそれは私企業が存在する世界の性質のために半ば強制される。しかし私はそれには同意しない。私は漸次的成長で良いと考えている。
  • 幸福というのは進化の流れが安定している状態のことである。大いなる目標を達成するとか、世紀の大発見をするといったような大仰なものではない。身近にあるものであり、誰の手にも届くものである。本文には書いていないが、それは心の平静も安定状態と言える。

あーあー、「成長」っていうキーワードは本当にどこの企業でも見かけますね。

面白いですよね、これ。

成長できるのはほんの一握りの企業だけ。それ以外はそのうち文字通り消滅する。確かに自然淘汰のように見えて、企業を生き物のように見たくなるのは案外理にかなっているのかもしれませんね。

上手く適応できたもののみが生き残ることができる弱肉強食の世界とでも言えば良いのでしょうか。よく言われている表現ですよね。私はまだバイトしたこともインターンシップで働いたこともない労動未経験者ではあるのですが、いつかその荒波に揉まれて石ころから砂粒になって無限にある塵の内の一つにでもなるのかもしれないと考えると、なんだか悲しい気持ちになって来るのですが、それはさておき。

 

いきなり本題ですが、これもよく言われていることだと思いますが、それもおいといて。

なぜ「成長」する事を半ば強制されるのか。

 

「成長したくないならしなければ良い、当然自己責任だけど。」と言われてしまえばそれまでですがちょっと待って欲しい。今はそもそもなぜ成長することが半ば強制されるような社会制度になっているのかについて考えたい。

ここまで言っておいてあれだけど、私にはそれを語る能力なんてない。カール・マルクスも新書の解説本を読んだだけだし、構造主義とか、進化生物学も新書で知った程度にすぎない。つまりにわかなんですね私は。よくいる一般的な大学生と言うわけです。だから私がいくら語ってもそこら辺に落ちているあまり論理的でない記事と対して変わらない記事しかできません。

まあ、それを承知で自身のつまらない考えをここに書き溜めているのです。

 

閑話休題、自分なりに根本的なことを話したい。

世界はなぜ平和ではないのか、それは世界中で紛争が起こったり経済格差や差別などの諸問題が世界中で問題になっているから。

ではなぜそのような種々の問題が起こっているのか、それは一括りに言うのは良くないのかもしれないが、その根本的な理由は「進化」しあるのではないだろうか。

あ、ここで進歩と同じ意味で進化を捕らえないでくださいね。

生物不変のものではなく長大年月の間に次第変化して現生の複雑で多様な生物が生じた,という考えに基づく歴史的変化過程種類多様化と,環境への適応による形態機能行動などの変化みられる。この変化は,必ずしも進歩とは限らない

三省堂 大辞林より)

 言い換えればある動物が交配して自身の遺伝子が子に受け継がれていく一連の過程を進化というのであって、それは進歩とは言いませんよね。

本題に戻って、「人間」は自身の遺伝子を残していくためにまずは生き残らなければならない。その次には相手も見つけなければならないし、更にはできた子どもを保護し養っていかなければならない。まあ、難しいよね。

ここ200年で一気に世界人口が増えた背景には、それが起きるだけの社会制度の整備や技術革新が起こったことなどが挙げられる。そう、本当に最近になってやっと多くの地域で人間が右肩上がりに繁殖できる程度の社会が出来上がった。

 

そして今私は21世紀という、昔と比べたら格段に行きやすいであろう社会の中で生きることを許されている。

 

だからこそ先人の多大な労に感謝しつつ生きているわけだが、大学生になって時間に余裕が出来たからか、最近「幸福」について考えている。

幸福とはなんでしょうか。人間も蟻やペンギンのように一生物に過ぎず、その最たる違いと言えば知能ぐらいではないだろうか。人間がいくら知能に秀でていようが、進化するということが基本的な最大目標であることに変わりはない。

「基本的な」と言うのは、これが人間の面白いところだが、自身の求めるものを限りなく追求でき、進化とはおよそ関係のなさそうな事を最大目標にできるからである。といっても進化と似たようなものもあるが。例えば歴史に名を残すことそれ自体を目標にしたりとか。

 

閑話休題、結局のところ、基本的には「幸福」というのは進化の流れが安定している状態を指すとは言えないだろうか。なんだか夢もへったくれもないような定義に見えるが私にはそこまで外れていないように見える、私にとってはだが。(別にこれ以外の状態を幸福とは言わないと言いたいわけではないです。後から自分が言っていることがおかしいと気づきましたごめんなさい。)

所詮一生物なのに、結果的に知性を持つに至ったに過ぎないのに、なんでもともと高尚な何かを私たちは持っているのだと考えられるのだろうか。私はそれを常々疑問に思っている。

 

確かに、何か「高尚な理想の下我々は日々を生きているのだ」なんて言えたらどれだけ美しいでしょうか。

明確な目的、理想があるとそれだけ生きやすい、何を受け入れるべきか、何を受け入れるべきではないかがはっきりしている。そんな風に屹立として生きることができれば確かに生きやすいでしょうね。楽ですから。だから美しく見えるのかもしれません。

 

しかし、皆さん御存知の通り、人間はそんなに上手く生きることができない。悩みが完全に100%ない人っていませんよね?人は人である時点で何らかの考えを持たずに生きることができない。だからこそ齟齬が生じるのは仕方がない。そのために社会的関係において人々は悩み続ける。

 

私には社会的関係というのが人にしか適用されないというのがいまいちよくわからなくて、社会的関係って他の生物や環境もその範囲内に入れることができないのでしょうかね。人間は人間だけで成り立っているわけではないですし。自然と人間とを分ける必要ってあるんですかね。私はないと思いますが。

 

 

それはさておき、結局のところ人間がより良く生きるために社会制度があり、技術がある。つまり、これらの最終目標は進化の促進にほかならない。

でなければ福祉国家がトレンドになんてなりませんよね。個人の人権が保証されるなんてことはありませんよね。

 

日本を例にあげよう。

一夫一妻であれば自由に誰でも結婚することを許された社会(LGBT問題はここでは置いておく)、そこでは食べ物が日夜工場、または手作業で作られており、いつでもどこでも手に入る。というか大量の廃棄処分が発生するほど作ってる。それに安全な家があり、法整備もそれなりにととのっており不法侵入の恐れもあまりない。更には仕事も完全に0というわけではない。まあ、近年格差が一気に広まりつつあったり人口減少が著しくなってきてはいるが、だからといって直ちに日本にいる全ての人が干上がるわけではない、長期的に見て考えるべき問題だけども。政治状況もまあ、最近はテロ等準備罪とか憲法改正とかはっちゃけている自民党もい与党もとい安倍総理大臣ではあるが、日本人がちゃんと立ち上がってくれるものと信じている。

このように日本はまだまだ多くの問題を抱えているが、個人の観点から見れば日本は生きにくいとは言いにくい程度には生きやすい世の中になっている。

 

 つまり、進化し易い環境なのである。

しかし、現実はそう甘くはない。あくまで環境がそうなだけであってじゃあ問題なく日々を幸せに生きていけるかと言うとそんなことはない。人間と人間の関わり合いが結局のところ大きな問題であって、その環境はあくまで人々が乗っかる台でしかないからだ。当然台が平らであればあるほど、人との関わり合いが重要になってくる。と言っても大きな凸凹があって隣の人の顔が見えなくても、それでだれかとコミュニケーションを取れない何ていう時代ではない。インターネット恐るべし。

 

 

なんだか変な方向へとずれていっている気がするので本題に戻ろう。

なぜ「成長」する事を半ば強制されるのか。

 

それは進化の促進のためだからであろう。

なんださっきも言っていたじゃないかという非難が聞こえるが、今の私にはそれ以外に考えられない。視野が狭いとも言うが。

何のために働くか、それは生きるために。

労動とはなにか、それは生きる為の手段である。

果たしてそうだろうか。それだけであろうか、特に後者。

言ってしまえば現在において、労動は私企業「が」生きるための一道具に成り下がってはいないだろうか。そしてその労動を行う人間は消耗品となってはいないだろうか。人間が自身が作ったものに翻弄されるとはなんたる本末転倒、主客転倒であろうか。

 

「長期的な成長」、確かに聞こえは良い、しかしそれは結局のところ、「私達だけが」長期的に成長するというカッコつきにすぎない。だからこそ企業は常に同業他社を打ち負かさんと日々経営戦略を練り実践している。でないと自身が潰されるからだ。

自ら潰しにかからないといつ自分が潰されるかわからない。

ビジネスの世界はある意味で原始状態のような世界とも言える。私たちの多くはこのような世界のある生物の栄養源として摂取されて排泄される。それで私達の役割は終わり、土へ還る。

 

そんな排他的な残酷な世界で私は生きていくことができるのだろうか。心配でならない。私はできれば誰とも争いたくない。

 

そもそも「成長」というのは絶対的に称揚されるべきものといえるのだろうか。

私にはそれが分からない。そのもっともわかりやすい例が原子力発電所であろう。あれはまさに使い方を一つ間違えるだけで大量の死者が出る事故に繋がりかねない。これもある種人間の技術の「成長」の結果にほかならない。

 

だから、「成長」というのは意図して起こす必要はないものと思っている。結果的に、二次的に、付随的に起きるものだと思っている。

急過ぎる成長は必要ない。なぜなら、人間の幸福、つまり進化が寧ろ阻害される可能性があるからである。もう一度原子力発電所の例を挙げると、人々が大量に死に、環境も破壊される、こんなことは誰だって起こってほしくないだろう。我々がこれからも進化できるかどうかに対してマイナスの影響を与えているのだから。だからこそ、本来なら環境に悪影響を与えない再生可能な持続的エネルギーでもって発電すべきなのだが、現在全ての電力を賄えるほどの技術の「成長」には至っていない。つまり「成長」の方向を間違えてきたとも言える。

 

まとめれば、ある程度安定した進化の流れを確保できているのであれば、漸次的な成長はあるにせよ、それ以上の速度での成長は必要ないものと思う。それに現在進んでいる成長に長期的に見て問題がないか常に監視し続けなければならない。

これは「今となってはこれ以上猛スピードで成長し続けても人類だけでなく自然すらも破壊してメチャクチャなことになるからその速度落とそ、ね?」という単純な話です。単純だからこそこんな理想が複雑な人間によって達成される日が来るかは神のみぞ知るだが。

 

ここまでババっと書いてみて、自分は具体的に物事を書くことができないのだな実感するのですが、それはさておき。

 

 そろそろ「お前にとっての幸福って具体的にどういう状態をさすんじゃい!さっきから曖昧なこと言いやがって!!」という非難が聞こえてくる気がするのですが、まあどうしましょう。

 

基本的に安定した進化の流れというのは、家族や友人や親戚との関係が良好であり、子どもがいる場合子どもを養っていけるだけの金を稼げていて、特に何かに縛られること無くのほほんと暮らしている状態というのが私の解釈です。

 人によっては刺激が足りないとか、まさにこれこそが理想やとか、絶対無理やわこんな生活とか色々あるでしょうが、まあ私はこういうのが幸福なんじゃないかなあと思ったりしているわけです。

 

ここでやっと 記事タイトルに触れる事が出来ました。

前置きが長くてごめんなさい。

 

まず「らき☆すた」ですが、ニコニコ動画で7月14日まで全話無料で見れるんですよね。それで折角だし見てみようかなと思って見てみたんです。

この記事を見て察しているかもしれませんがどっぷりとハマってしまったのです。ああ、こんな緩い日常が毎日続けばどれだけ幸せなことだろうか思ったのです。

そこでは他を押しつぶす為の「成長」など必要ない。ただ誰かとの他愛のない、しかし親しみのこもった会話そのものが「幸福」の源になっている。

日常系アニメだから当たり前っちゃあ当たり前なのかもしれないのですが、このような当たり前にスパイスを加えたものが売れているということは、つまりそれだけその当たり前ができていない証拠でもありそれが渇望されているということです。美少女というインセンティブ付きではありますが。

幸福というのは少なくとも無限に何かを欲することではないはずですし、仮にそうだとしたら永遠に幸せにはなれないでしょう。私からすれば、欲することそのものが幸福というのは哀れと言わざるを得ません。永遠に幸福にはなれないのですから。むしろ永遠に苦しみ続けるし、永遠に戦い続けることになるでしょう。

だから私はできるだけ物を欲さず、必要なものを必要なだけ、できるだけ少なくという風にして消費活動を行っています。それに既に今あるものを大切にしたり、積極的に友人を作るというのはあまりしませんが、人間関係もできるだけ円満であるように努力もしています。幸せと言うのは案外近くにあるんです。桃源郷ではないと思います。

 

これはらき☆すたである必要性は無いかもしれませんね。雰囲気だけで言えば同じような作品はありますから。決してらき☆すたを貶したいわけではなくむしろ好きです。

にらき☆すただけでなく、日常系のフィクションというのは案外得られる教訓があるのでそういう視点から見るのも良いですよ。

 

 

次に「けものフレンズ」ですね。

いきなり自分なりの見方に入らさせていただきます。ここでは考察と言うよりか少し観念的な見方をします。

彼女達は人間がいなくなったと思われるジャパリパーク内において生活している。そこでは人間ではなくラッキービースト(行こうラビと略す)が彼女たちの世話をしている。ラビによる最大の恩恵はじゃぱりまんの供給と言える。彼女たちにとってはそれは常に死活問題だからだ。特にじゃぱりまん以外に食べられるものがない動物にとっては特に。

だから彼女達はラッキービーストに依存しているとも言えるが、自分なりに言い換えてみると、それだけ楽に生きれるだけの社会制度を持っているとも言える。

そこに「成長」はない。しかし「幸福」はある。

彼女たちにとって「成長」という言葉恐らく頭のどこを探しても見つからないだろう。なぜなら必要ないから。十人十色、みんなそれぞれ苦手な所、得意な所があり、役割分担すれば良いだけなのだから。それに彼女たちは皆実に素直であったり、包容力があったりする。皆が皆を認め合い、包容しあい、助け合う。それはセルリアンが襲ってきても変わらない。

自然の掟ということをカバは言っていたが、それではアニマルガールの特色が一つ消え失せるとも言える。なぜならレンズでなければ絶対に有り得ない能力、人間の言語を手に入れたにも関わらずそれを有効利用するなと言うのだから(彼女は建前として言っただけだと思うが)。

 

言語力があれば当然動物間でコミュニケーションが起こることは予想される。そこには当然人間と同じように齟齬があってもおかしくはない。しかしアニメを見るにそれはあまり起こっていないようだ。果たしてそれはなぜだろうか。動物がいきなり言語力を手に入れたとしても、普通は他の動物に対しても以前と変わらず排他的攻撃的であってもおかしくはない。しかしそんなことは起こっていない。なぜだろう。

 

ここで私は2つの考えを思いついたがここではより関係が深い方を紹介する。

なぜ彼女たちはみな優しいのだろうか。それは絶対的食料に悩まされることがないという安心がその根底にあるからではないだろうか。ジョージ秋山の「アシュラ」では食べ物を得ることのできない人間がいかに悍ましい獣になってしまうかを克明に描いている。その変貌ぶりを獣フレンズに当てはめてみると、これは実に適合しているように見える。

彼女たちは絶対に食料に困ることはない。そういう絶対的安心を提供してくれる基盤があるからこそ彼女たちはあのように日々自分のやりたい事をできている。

 

現実に戻ってこよう。

まず何よりも食料調達と供給を重視する社会制度にする必要があるのではないだろうか。といっても、この記事タイトルの本旨とはずれているのでこれ以上は述べることができないし、これ以上述べることができる能力もない。

 

まとめ

  •  「成長」というのは特に進化の促進という意味において価値がある。そしてそれは私企業が存在する世界の性質のために半ば強制される。しかし私はそれには同意しない。私は漸次的成長で良いと考えている。
  • 幸福というのは進化の流れが安定している状態のことである。大いなる目標を達成するとか、世紀の大発見をするといったような大仰なものではない。身近にあるものであり、誰の手にも届くものである。本文には書いていないが、それは心の平静も安定状態と言える。

シャドーイングを100日実践したのでその成果をまとめてみた

先日、つまり7月4日にやっとシャドーイングの実践日数が100日を超えました。

余談ですが、2017年の1月から始めて何回か中断したりしたので実質100日を超えるまでに二倍以上の日数がかかっています。怠惰ですね、私。

 

早速効果を述べていきたいところなのですが、そもそも私の英語力がどの程度のものなのかを知っていないと、どんな人にどれだけの効果があったのか、そしてシャドーイングを始めようか迷っている人の「本当に始めても大丈夫なのか」という疑問を解くために、まずは最近の自身の英語学習歴から述べようと思います。唐突に見も知らぬ人に「コレくらいの効果あるよ!」と言われるより、英語学習が上手く行かずもがいている普通の人間が「シャドーイングを100日間続けて、これこれこういうことがわかったよ」と言う方がなんとなくしっくりきませんか?まあ、英語のプロが「効果バツグンだよ!」って言ったほうが説得力があるのかもしれませんが・・・とにかくシャドーイングがどういった効果をもたらすのかを理解する一助にはなると思うのでよろしくお願いします。

 

まず、大学受験時、つまり高3の時は偏差値50よりちょっと上の大学レベルのリーディングレベルしかなく、それ以外は壊滅でした。にも関わらず英語に興味があり、「仕事で海外駐在とかしてみたいなー」とか思っていました。

なので大学に入ってから、つまり2016年の4月頃から発音の学習と同時に英語上達完全マップに沿って勉強し始めました。 

何を血迷ったか、6月にTOEICを受けました。点数は330点でした。まだ二ヶ月しか経っていなかったので当然ですね。その時はまあそのうち効果出るでしょと楽観的に考えて黙々と学習を続けました。

 

10月、英語をイメージとして理解しながら読む多読を始めました。これを始めていなかったら今もまだ英語上達完全マップを続けていたと思います。それくらい英語学習の印象が変わった学習法でもあります。

つまり、こちらのリーディング方法の方が圧倒的に早く読めるし、何より「本」で学ぶので知的好奇心が満たされて楽しかった。もちろん、英語上達完全マップにそってまだ学習を続けていたのでそれと並行して多読をすることにしました。

 

そしてその2ヶ月後の12月、私はふと疑問に思いました。

「英語学習マップって本当に効果あるの?」

結論だけを言えば英語上達完全マップは私には合わなかった?ようです。リスニングもスピーキングも上達せず、上達したのは「英文解釈教室」を利用したリーディングだけでした。特に「ドンドン話すための瞬間英作文」は補足やニュアンスの書き込みをしてぼろぼろになるまで繰り返したんですけどね。今でもこれで学習した内容が役に立っているかは疑問に思っています、意識できないだけで役に立っているのかもしれませんが。

音読パッケージ?あれは黒歴史ですね。私の使用法がおかしかっただけなのかもしれませんが、本当に何の効果も感じられませんでした。

 

つまり、大学入学後英語学習開始から8ヶ月たって12月であるにも関わらず上達したのはリーディングと発音だけでした。

具体的に言えば、

リーディング :翻訳方式のリーディングは以前よりも1段階高くできるようになった(感覚的だけど)。多読方式のリーディングはペンギンリーダーズのレベル2が問題なく読める程度でした。

リスニング :12月あたりの英語の授業でCDのネイティブ音声を聞いたときは、英語を喋っているのが分かる程度でした。もちろん意味を読み取る事はできませんでした。単語がたまに聞き取れる程度ですね。

 

発音 :使用したのは「英語耳」「英語喉」「ジュミック今井のフォニックス」です。これらは英語学習開始から最初の3,4ヶ月ぐらいに済ませました。発音「だけ」はその授業の教師(日本人でどれくらい実力があるかは私には分かりませんでしたが)に「できてるね」という曖昧ではありますが褒め言葉を頂いて嬉しかった。といっても一通り発音の知識を体得してカタカナ英語からほんの少しだけ脱却できただけでまだまだ修正の余地ありですが。

 

 

 

まあ、この惨憺な結果を見れば察しがつくとは思いますが、この時点で学習法にテコ入れをしないと永遠に英語力は伸びないと理解しました。

 

まず英語上達完全マップは解雇しました。私には効果がなかったのですから当然です。多読は当然継続です。それから新規にヒトリ英会話とシャドーイングを取り入れました。1人英会話の説明はここでは割愛します。

 

はい、ながらくお待たせしました。やっとここでシャドーイングの登場です。

リスニングが全くできないということは、TOEIC的にも実用的にも致命的です。ですからこれをなんとかしようと考えあぐねていた所、このシャドーイングにたどり着きました。ここで当時参考にした文献の紹介です。

 

 

英語上達12のポイント

英語上達12のポイント

 

 

 

 門田修平さんの「英語上達12のポイント」という本にシャドーイングがいかに効果があるかという研究の項があります。

その該当箇所である「ポイント4」と「ポイント5」という項から少しだけかいつまんでまとめさせていただきますと、つまり発音が良くなってより正確に聞き取れるようになるのと、面白いことにリーディング速度の上昇の効果もあるんです。もっと詳しい説明が欲しい方は本書を読むことを強くおすすめします。理論的なことが書かれていて面白いですし、自身の英語学習法の点検にも役立ちますよ。 

 

こうして私は12月を新しい英語学習法の作成に費やし、1月から再スタートしました。

シャドーイング教材は↓です。大体一日一時間くらいしました。表紙は少し扇動的ですが中身はちゃんとしっかりしています。

 

 

絶対『英語の口』になる! 中学英語で基礎から鍛えるシャドーイング大特訓50<CD2枚付>

絶対『英語の口』になる! 中学英語で基礎から鍛えるシャドーイング大特訓50<CD2枚付>

 

 

 

そして7月4日、紆余曲折を経てやっとのことで100日を達成しました。

 

本当にお待たせさせてしまい申し訳ありません。ここからシャドーイングの効果のまとめに入っていこうと思います。

 

まず私のシャドーイング開始時点での英語力を一言にまとめてみます。

 

「英文解釈教室」がギリギリできるぐらいの翻訳方式のリーディング力と、ペンギンリーダーズのレベル2が読める程度の多読方式のリーディングと、発音がカタカナ英語ではない程度にできる以外にはリスニングもスピーキングも全て論外な英語初級者ですね。

 

ではそこからシャドーイングを100日間するとどうなるのか。

 

一言で言うと、100日あたりでようやくシャドーイングの効果がほんの少しずつ現れ始めたといったところでしょうか。

 

そう、ほんの少しです。どんな英語でも聞き取れるようになれて発音も完璧になるなんていう魔法のような学習法ではありませんでした。巷でもよく効果が出るのが遅いと言われているように、本当に遅いみたいです。ここまで引っ張っておいて申し訳ありませんが、これが現実です。

しかし、ほんの少しとは言え、私にとっては劇的な変化です。なんせたった100日でほんの少し「」効果が出たのですから。私にとっては革命です。殆ど無駄になった8ヶ月間の苦しみの念が一気に抜けていくような気がします・・・。

具体的には、

・中学英語レベルでごくごく短い文章(5語以下ぐらい?)で語彙も簡単であれば、初めて聞く文章であっても全集中力を使えば英語の文章として聞き取れて意味もわかるようになった。

・本当に文章を読むスピードが少しだけだが上がったような気がする。文章を塊として読めてきたのでしょうか。多読をしている時でもなんとなく塊で読めている気がするようなしないような・・・。

シャドーイング内で扱う中学英語レベルの文章が徐々に楽に聞き取れて意味がわかるようになるのが速くなった。具体的には3時間かけてやっと聞き取れて意味が取れるようになって発音もある程度ましになったのが、2時間40分ぐらいになったりですかね。

 

こうして見ると本当に微妙ですね。私にとっては大きな変化ですが。

しかし、これらの成果以上に、英語力に直接関係はありませんが、得た教訓があります。英語力の少しの向上という嬉しい出来事以上に重要な成果だと思います。

それは、発音と英文法の基礎ができていれば

シャドーイングは続ければちゃんと効果がある

 

ということがこの100日間で分かりました。

やはりいちばん気になるのはここですよね。効果のない学習なんて誰もしたくないですよね。

安心してください。シャドーイングはちゃんと効果があります。科学的な裏付けもあります。門田修平さんの著書を読んで下さい(他人事みたいで申し訳ありませんが)。

それに制限時間がある中で目標に向かって努力をしたのはいいが、それが無駄だったと後になって判明するのは悲しいですからね。間違った学習法とか自分に合わない学習法というのには十二分に気を付けないといけません。

あと、英語なら、情報はちゃんと探せばいくらでも出てきます。甘い誘惑に流されてはいけません。

当時の私は特に比較検討することもなく「英語上達完全マップ」を選んでしまいました。

「完全」と謳っていますからね。確かに合う人にとっては「完全」なのかもしれませんが、別にこの学習法を貶すつもりは皆無なのですが、私には全く合いませんでした(使用法が下手だっただけかもしれませんが)。

 

もう一度いいます。

発音と英文法の基礎ができていれば

シャドーイングは続ければちゃんと効果がある

 ということがこの100日間で分かりました。

大丈夫です。安心してください。

そして私はこれからもシャドーイングを続けていきます。

質問があればコメント欄にてお答えします。

 

MMDモデルの規約に覚える違和感について

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私の過去の経験かつバイアスだらけな記事ですので、「ふーん」と受け流してくだされば幸いです。下記の記事は「今」ではなく「過去」に考えていたことです。そういえばこんな風に考えていたなあっていうのを思い出して書いてみました。ですので支離滅裂気味です。自分の考えを整理するために書き出した以外に他意はないです。

 

 

私もMMDで幾つか動画を作り投稿したことがありますが、MMDモデルの規約にたまに違和感を感じるんですよね。
ずっと思っているのですが、「臭いものには蓋?」のような感じがしてならないのです。とりあえず、「常識の範囲内」で守ってねという、「うーん・・・?」といわざるを得ないような感じです。
つまり、誰もこの深遠な問題について議論しようとするどころか口に出すことすらしない、意図して避けようとしているような気がします。気がするだけかもしれませんが。

 

確かに公序良俗というのは非常に難しい問題です。刑法175条における「猥褻表現」の定義が曖昧であり、刑罰によって不合理的に表現の自由を制限してしまう恐れがある*1という意味でそれを裏付けています。

 

こうしてこの問題から避け続けた結果、「今のMMD動画ちょっと違和感ない?」という人が出てくるのは必然です。偶にこのような問題について触れているニコ動のブログ記事があるのですが、それらのコメント欄において、この問題について何も考えたことがないもしくは結局のところ現状維持で良いという、疑問符をつけざるをえないコメントを多く見かけます(偏見ですが)。
いってしまえば、モデラーの方にも考えてほしいのですが、本気で考えようものなら寧ろ公序良俗の問題を一生ものの職業にできるレベルで難しいのでこの問題に時間をかけられるわけないのは当たり前ですが。


といっても1番問題なのは視聴者なわけで、彼らの多くは子ども、それも男の子、つまり性欲が強い人が多いわけです。そうなると当然MMDに於いてもそのようなものを扱う動画の需要が高まるわけです。こうしてMMD動画作成者とMMDモデラーにある意味の公序良俗についての免罪符が与えられるわけです。

こんなことが状態化していれば、当然公序良俗について考える機会なんてあるわけない。というか既に状態化しているのでこれからもモラルは危険に晒され続けるでしょう。だから、上述のコメント欄において疑問符をつけざるをえないコメントがなくならない。


一口にいってしまえば、1人でどうにかなる話ではないんですよ。

 

需要者側は子どもたちが大半です。大人の人口はかなり少ないはずです。そうなると、上述したように当然その子どもたちの求めるものに合わせた方が再生数を稼げる。

下ネタやエロを混ぜたほうが当然彼らの多くは喜ぶからだ。現在存在している多くの動画のコメントを見ればよくわかる(偏見ですが)。

 

ではどうすれば良いのか。どうすればモラル、つまり公序良俗について考える機会を生み出し、モラルを高める事ができるのか。

 

一つ目はまあ、できなさそうですが、MMDを完全に有料にし、利用規約の厳格化に務める。彼らの多くは趣味でやっているはずです。そうなるとやはり時間をモデル以外のところには使いたがらない。だから規約で手を抜いてしまう。そこをどうにかしなければならないのですが、MMDを有料にすることであえてMMD動画製作者人口を減らして、本気でMMDをしたい人だけの少数精鋭の団体をつくってそこで議論をしてルールを決めるとうのが一つ目。これはまあ現実味がゼロですね。誰もが自由にというのがMMDの良いところなので。ですので一つ目の案は私も好きではないです。

 

2つ目、時の政治家に教育政策を改善するようお願いする。これが1番根本的な解決策ですね。モラルを高めたいなら教養を高めればよい。まあたったそれだけなのですが、それが未だ上手くいっていないのが日本であり、世界共通の問題なのですが。これは現実味はありますが、超長期的な話ですので実現する前にそもそもニコニコ動画がそもそもなくなるような気がします。

 

3つ目、ニコニコに規制してもらう。これはR18カテゴリある時点で希望がそもそもないです。

 

4つ目、モデラーと動画製作者でモラルの共通の規約を作る。

私はもはやこれしかないのではと思います。いわゆる憲法や法律みたいなものです。いくら感謝で溢れるとはいえ、個々のモデラーによって規約が少し異なると、ある使い方が大丈夫かどうかを個々に確認しなければならないのははっきり言って時間がかかって疲れる。共通の規約を作ったほうが間違いなく楽だし、新規モデラーもいちいち規約を考えなくてすむ。

ただし、包括的抽象的具体的にMMD全体の問題を見ないといけないし、関わる人の全てがコミュニケーションを緊密にとり議論を精緻に進めていく高度な論理能力が必要なので、一応の完成にもかなりの時間を要するでしょう。

 

 

ここまで4つ挙げてみましたが、結局のところ、誰かが問題提起をしなければ何も始まりません。ですので現役MMD動画製作者の方々がこの公序良俗、モラルの問題について、自信の意見を発信している記事を見ると、なんだか嬉しくなります。

 

*1  渋谷秀樹,2014,憲法への招待 新版,p109-116を改変かつ簡単に要約した。気になる方は読んでみてほしい。憲法の勉強にもなりますよ。

 

若者はなぜ政治に目を向けないのか

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大学生の私が日々の大学生活の中でなぜ大学生等の若者達は政治に目を向けないのかを自分なりにぼんやりと考えてみましたのでここで述べようと思います。

 

・政治関係の話をすると白けるのでそもそも会話に出せず、政治についての意見交換が行われないことによって政治参画意識が形成されないから

 

友達との会話内でそもそも政治関係の話題になったことが一度もないです。やはり大学の授業の話題かアニメの話題が殆どですね。会話の途中で、仮にある話題が一段落してさあ次の話題に行こうっていう時でも凄く言いづらい雰囲気が殆どです。邪推かもしれないですが、意図して政治の話題を避けようとしているんですね。これはそもそも政治関係についてのニュースを知らなかったり、興味がなかったり等の原因があるのでしょうね。それに話が続かないような話題は会話が成り立たないので避けようとするのは当然ではあるのですが。これを解決するのはまあ難しいでしょうね、私一人程度の力では不可能でしょう。私は政治についての知識が乏しく興味を沸かせるような話なんでできないので、スムーズに政治の話題に移れたとしてもまともに話せるかどうか分かりませんからね。

 

 

・短期的快楽に負けてしまうから

 

 それはやはりよく言われているように、自分とはあまり関係のないものと見ているというのは大きいと思います。そりゃ選挙に行ったからと言ってすぐに何かが変わるわけでもないし、長期的に見ても果たして本当に変わるのかどうか分からない。そんな不確定な未来の為に時間を割くぐらいだったらだったら別にいかんでもええやん、そんなことよりアニメ見よ、ゲームしよ、カラオケ行こーぜって短期的快楽に走るなんてわかりきったことですよね。それにこれもよく言われていることですが、人間がそもそも短期的快楽に飲まれやすいというのは多くの人が共通して持っている性質だと思うのでそういう根本的な人間の性質というのもやはリ大きいでしょうね。

 「若い」のでまだまだ成長の過程にあり、不安定な時期にいるというのも大きいでしょう。大学生に限って言えば、サークルなど大学生でないと出来ないことが多くあるので、それに引っ張られるというのもやはり政治に目を向ける時間を奪い取ってしまう大きな要因の一つだと思います。大学生活の中で多くの人が睡眠や学習を犠牲にしてより多くの時間を遊びに使おうとするように、長期的利益を犠牲にしてそうするというのはいたるところで見られることです。かくいう私も午前2時ぐらいの深夜にこの記事を書いています。睡眠不足やサーカディアンリズムの崩壊というのは日常生活に悪影響しか与えないのにも関わらずこの記事を書いているのです。

 

 

・選挙に行かない、もとい政治に目を向けない事によって起こる損について受動的だから

 

 この項のインスピレーションはこの記事から頂きました。

www.shijo-street-weekend.com

その中でも特に

で、その選挙行かない若者損理論を先生が語られていたので、僕はこう反論してみました。

別に、損してもいいって思ってるんじゃないんですか、って。

選挙に行かない若者に「行かないと損だよ」って論法は意味あるのか - 四条通り週末.comより抜粋

この文章が凄く私の腑に落ちました。ああ、確かにそうかもしれないって。受動的というのはまさに日本人の多くが持っている姿勢でしょう。お上は絶対とか、上司の命令がおかしくても逆らってはいけないとか、先輩の言うことはちゃんと聞かないといけないとか。なんというか「窮屈」とも言えるし「楽」とも言えます。何かに、誰かに唯々諾々と従っているだけでよいのならこれほど「楽」なことは無いかもしれません。これを「楽な生活」と呼ぶ人がいてもおかしくはないはずです。だからこそ多少の損がある政治関係の事象が起こっても上が決めたことだからと特に逆らうことも無く従ってしまう。そして「まあそこまで悪いようにはならないでしょ。」と何処かで楽観している。

 「行かないと損だよ」と言うだけでは若者の殆どは靡かない。なぜなら日常生活に差し障りがない程度の損なら既に受け入れる意識が根本にあるからだ。そのような人たちにはその過剰な楽観を取り除けるだけの政治参画の意義を説き続けなければならない。といってもこの意識を変えるというのは非常に難しい。そもそも「意識を変える」ということはすなわち人格を変えるということであり、その人の生活そのものが変わることを意味するからだ。人は今いる場所が気持ち良いと、変わりたくないと思う。自分の考えを全否定されて気持ちの良い人間なんてそういないだろう。誰かの意識を批判し啓蒙するというのはその人そのもの変えることであり非常に骨が折れる。そんなことを一人ひとりやっていたら永遠に現状は変わらない。

 ではどうすればよいのだろうか。言ってしまえば誰もが政治に参画せざるを得ない社会を作るしか無いと思う。具体的にどうすればいいのかとかは全くわからないのだが、これ以外に良い案が思い浮かばない。

 

無気力の対処法について~読書が効く?~

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今もそうなのですが、時々無気力になります。なにもしたくない気持ちが湧いてくるのです。そしてもう疲れたからいいやと自分に言い聞かせ、やるべき日課を放棄してなにか別のことをやり始めるということがよくあります。

 

正確には「何もしてない」のではなく「別のことをする」なのですが、日課をやっていないという意味で何もやっていないということにしています。だってこのような状況においての「別のこと」といえばニコ動で面白い動画を漁ったり、スマホゲーですからね。私にとってはこれらは何もやっていないのと同然です。

 

自分でも何やってんだってよく思ってます。しかしどうしてか中々克服できない。自分なりに分析して改善方法を試してはいるのですがやはり、過去の体験というか記憶というか、体に染み込んだ行動の記憶といえば良いのでしょうか。それこそ中毒症状みたいな感覚といえば良いのでしょうか、

 

「やめちゃいなよーやめちゃいなよー遊んじゃいなよーうぇーいうぇーいうひーうひー」

 

という悪魔の囁きがきこえてくるのです。

といってもそもそもこのような誘惑が生じるのは、日課である英語学習を楽しみながらできていないからなのですがね。やはり英語そのものに関心があっても、それに習熟するための訓練ととなるとどうしても退屈な面というのはでてきてしまいますからね。そこの退屈な面と接している時に悪魔の囁きが聞こえてくるのです。そこを如何に面白くするのかというのが喫緊の課題です。そうすれば英語学習は面白くなり、こうした無気力状態も少なくなるはずですからね。

 

無気力状態を休養期間として英気を養うというのも一つの解決方法だとは思いますが、やはりどうしても踏ん切りが付かないんですよね。「一日中何もしなくて良いのか」っていう非難が聞こえてくるような気がするのです。大学生とはいえ時間には限りがある、だからこそ時間を無駄にするのは気が引ける、というありがちな理由で踏ん切りが付かないのです。

とりあえず本を読んで心を落ち着かせるというのも一つの手ですが、無気力状態の時はやはり何も考えずに得られる快楽、つまりニコ動やゲームに流れてしまいがちでなんですよね。ですからそもそも本を読めるだけの気力があれば日課を続けていくことができているはずです。ですのでこの手はNG。

と、今この文章を書いていて思い出したことがあります。つまり「何も考えずに得られる快楽」を予め設定しておいて、それをできるだけ無気力状態から離れることができるようなものにしておくという方法です。私の場合、ラノベや軽めの小説とか写真を取りに行くということでしょうか。前者はサラサラと読めてあまり頭を使うことがなく、それでいて「本」であることに変わりはないので活字を通じて無気力状態を脱すると言った感じでしょうか。一つ上の「本を読んで心を落ち着かせる」の「本」はここでの「本」とは違って新書やノンフィクションや専門書などの普段私が読んでいる本気で考えて読まないとそもそも理解できないような「本」のことです。後者は構図や被写体を考える必要はありますが、例えば淀川に行ってその雰囲気を感じるだけでも大変リラックス効果があるので、これもやはり無気力状態から脱するのには有効な手段ではないかと思います。

 

とはいえ、上記の対処法を試して上手く無気力状態を脱しても数日後とか数週間後にはまた無気力状態に陥ってしまうという無限ループが最近の傾向でしょうか。こうして文章化することもどこがいけなくてどこをどう治せばいいのかという事が分かるので必須で、無気力脱出には役立つとは思います。が、それで対処すべき場所がわかり、対処法を取り敢えず考え、それを試し、ある程度は上手くいっても、やはり無限ループからは抜け出ることができないでいるのが今です。

 

ですので、最近はこのループを受け入れるしかないんじゃないかとか、このループを如何に上手くコントロールできるのかとか、そもそもコントロールできるのかといったことを考えたりしています。

 

つまり、まだまだ手探り状態です。そこでまあ自分でずっと考え続けるというのもありですが、ここで先達の知恵を借りるというのもやはり取るべき方法の一つでしょうか。

先達の知恵と言えばやはり本が無難でしょうか。ではどのような本を読めば良いのでしょうか。

「それはやはり自己啓発本です!!!」

といきなり断定するのは待ちましょう。ここで焦っては今後の解決策考案時に躓いてしまう元になります。よく考えて自己啓発本の中で知恵を探すかどうかを決めましょう。

よく自己啓発本は読むなとか一冊で良いといったような言論をよく見ますが、正しく情報処理ができてちゃんと実行できるなら別に何冊でも読めば良いと思います。本当にできる自信があれば、ですけど。残念ながら私はだめでした。高校時代、「ヒトを動かす」「7つの習慣&それの漫画版全冊」「嫌われる勇気」「ニューアース(この本は自己啓発ではないような)」などなど有名どころを何冊か読んだのは良いですが、「嫌われる勇気」の「アドラー心理学」以外は見事に読んだだけで終わりました。まあ、アドラー心理学が自分にハマったのは多くの自己啓発本を読んだおかげではありますがね。これだけハマった上に4周もしたので今も頭の中に残っています。つまりここから言えることは、自分にあった本を見つけるという目的であれば自己啓発本をあさってもかまわないということでしょうか。私の場合運良く数冊で自分に合ったものを見つける事が出来ました。しかし、やはり自分に合ったものを見つけるというのは時間がかかると思うのでどこかで妥協しなければならないのでしょうね。

 

まあ、現在は自己啓発本というより寧ろ、現実に戻る、つまり無気力でいたくないと思える本を読んだりしています。これは私が思うにここまでに述べた中で1番効くような気がします。つまるところ「ショック療法」と言えば良いのでしょうか。このような本は人によって違ってくると思います。私の例をいくつかあげますと、「銃口」「面白くて眠れなくなる進化論」「スリープレボリューション」「子どもは40000回質問する」「欲望について」「愛するということ」「茶色の朝」「夜と霧」「良き人生について」「歴史とは何か」

あたりでしょうか。ここに挙げたどの本の内容そのものも非常に面白かったのですが、それに加えて現実に戻りたいと思えるような気持ちになったんですよね。はたしてなんでそう思えるのだろうかと考えていた所、共通点のようなものが見えたような気がしました。つまり、過去を顧みて未来をより良くするというような解釈ができる本ならなんでも良いのです。

 

このような本を読むと自分もなんだか「やらねば」というような気分になるんですよね。ミラーニューロンのおかげでもあるのでしょうかね。あ、一般読者向けに優しく書かれた脳科学系の本も無気力の対処法の一助となるのでおすすめですよ。例えば「快感回路」「進化しすぎた脳」などですかね。

 

ああ、この記事を書く時間を日課に費やせば良かったかな・・・今日はまだ日課の一つも終わってないんですよね・・・。まあ、これも無気力対処の一貫ということでひとつ・・・。

 

 

 

 

2017年6月11 枚方市の淀川付近の野鳥写真

 ↓ハシボソガラスさん。一つ一つの羽が綺麗です。

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↓このシルエット感がかっこいい(素人並感

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↓はじめましてヒヨドリさん。スズメ目ヒヨドリヒヨドリ属でスズメの仲間です。初めて木の上にいる野鳥を撮影出来ました。木に触れて脅かさないように、それと綺麗に撮れるように姿勢を変な位置で固定しなければならなかったので体が痛かったです。

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↓毛づくろいをしているのでしょうか?

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↓これも毛づくろいですかね?

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↓背伸びですかね?

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↓口をパクパクしていました

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2017年6月10日 枚方市付近の淀川の野鳥写真

↓小枝の上のハシボソガラスさん。5分ぐらい観察していたのですが全く動きという動きがなかったです。休憩していたのでしょうか。f:id:kasikoini:20170610200554j:plain

 

↓これはカワウですかね?初めて見ました。カツオドリ目ウ科ウ属のカワウさんはじめまして。

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↓遠くにいるハシボソガラスさんと自転車

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↓スズメさんが獲物をゲット!しかし、その獲物の動きが素早いみたいで、落としたり捕らえたりを何回も繰り返していたのですが結局逃してしまっていました。

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↓獲物を今にも落としそうなスズメさん。

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↓つぶらな瞳が愛くるしい

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↓一体誰でしょうか・・・わからないです・・・

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コサギさん。美しい。しかし、ここの池に油のようなものが浮かんでいたのですがあれはどこから流れてきているのでしょうか・・・

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↓ブレていてかつ暗いですがこちらはヒバリさんでしょうか。

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↓あまり上手くは反射してくれませんね。それにしてもこのマンション綺麗ですね。

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「マイペース」を取り戻せ

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ドライヤーで髪を乾かしながらぼーっとしている時にフッと思い浮かんだ変な直感をそのままここに書くつもりなので、未熟な見識で見当違いで、n番煎じで同じようなことがネットにあったとしても、私が思いついた事のリストとして残しておくつもりです。

 

 

「あなたはマイペースな人だね」

「私はマイペースなところがあるので・・・」

「私の個性はマイペースなところです!」

などなど良い意味でも悪い意味でも「マイペース」という言葉は往々にして多くの年代で使われている。当記事で話題にするのは相手との約束を平気で反故にしたり、思ったことを場の状況を考慮せずに言ってしまうなど、悪い意味でのマイペースではなく、他人に特に害を与えず、なおかつ自分に従って生きることができるという、良い意味でのマイペースを扱う。

 

言ってしまえば、

そもそも自分のペースを持っていない人間などいない、誰もが持つ普遍的なものであり、「個性」ではない。

 

いきなり本題に入るが、なぜマイペースは他人が持っていない特有の「個性」として扱われているのだろうか。

 

そしてなぜそれに多くの人は突っ込まず(私の過去の記憶ではマイペースについて疑問に思う人は0だった。あくまで筆者の体験談のみで話を展開しているので一般論ではない)、さもありなんと言った風に受け取るのだろうか。なんとなく察せると思うが、学校や会社など外部が決めるスケジュールに追われ、良くも悪くもそれに従って生きることに慣れきっており、そのために自分自身のペースを常に放り投げていなければならない。そしてそんなことを幼少の頃から続けていれば当然自分のペースに従って生きるなどあまりにも難しすぎるという結論に至ってしまって、それが当たり前だと思っている人があまりにも多すぎるからなのではと推測する。そしてそのような結論に至ってしまった人は常々こう思う。

 

「自分のペースに従って生きているんだって?ああ!羨ましい!!私もあなたのように生きることができたら!」

 

こうして自分自身のペースに従って生きるというマイペースは誰かの特有の「個性」として成立する。

 

まあ、おかしいよね。

なにがおかしいのか、それはやはり自分に従って生きるということが特有の個性として扱われていることだろう。今の社会は良くも悪くも効率が良くて、24時間営業のコンビニのおかげで何時であっても食べ物に飢えることなんてまずないし、アマゾンなどネットショッピングのおかげで欲しいものは大体ネットで一瞬でポチッと買えるし、わざわざ休日や仕事の帰りに取りに行く必要もなく、短時間で配達してくれる。それはそれで消費者にとっては非常に便利なシステムではある。それはつまり、時間が長くなったり短くなったりと変幻自在に時間が操作されていると言える。

しかし、そのような便利なシステムの裏で働く労働者のがその便利さの代償になっている時があるということは周知の事実だろう。また、特に小中高等学校において子どもたちは皆毎日決められた時間に登校しなければならない(私の通うような一般的な私立大学は自由に時間割が決められるからまだましだとは思うが。それでも面白そうな講義や必修科目を組み合わせるとよく歪な時間割が出来上がることがある)。時間をきっちり守るというのは社会生活上、守るべき前提であり良い面も当然あるが、マイペースという「個性」を存在させるための大きな要因の一つでもあるだろう。他にも大きな要因は沢山あると思うが(特に対人関係とか)今回はこの「時間」に焦点を当てて考えてみる。

時間を守らなければという意識は大きなプレッシャーとなりうる。私が高校生の頃は宿題の提出期限が過ぎるのが怖くて、宿題が配布されたらすぐに終わらせるのが「普通」となっていた。そしてその「普通」は私生活上に多大な影響を与えていた。どんなことでも早く終わらせないといけないような焦燥感に駆られることがよく合った。例えば、FPSはとにかく短時間で多くの敵を倒し、チームに貢献せねばと焦燥感に駆られてずっとやっていた。自転車による移動のときもなぜか時間がもったいないと思いに駆られ、基本的に全力で漕いでいた。三回ある食事も当然全て迅速に済ませていた。

一個人の経験をなんの検証もせず一般論にまで敷衍するのは妥当ではないが、この記事そのものが直感で成り立っているのであえて敷衍させてもらう。間違っていることを承知の上で述べさせてもらう。

つまりこのように時間に迫られるようになると自分のペースがだんだんおかしくなり、自分とは違う外部に支配されたペースによって生きることになり、自分のペースが侵食され歪なものになってしまう。そして挙句の果てに誰かの「マイペース」に日々憧れて過ごすことになる。

  

では自身のペースを取り戻し、維持するにはどうすればよいのだろうか。

 

まず、現在の社会において時間を守るのは当然の義務なので、社会生活上のスケジュール、つまり時間を守るという外部のペースにも従った上で自分のペースに沿って生きていくしかない。

常に心に留めておくべきことは

守らなければならない「外部のペース」をできるだけ最小限に抑え、「自身のペース」をできるだけ最大化する

自身のペースにとって今現在従っている外部のペースが不要であるかどうかを考え続け、不要であるならば時を見計らって切り捨てる

ことである。

外部のペースに関わることは必然であってもそれを減らすことはある程度は可能だろう。では実際にどうするかについては流石に個々人によって全く違うだろうから述べることはできない。

しかし私の実践例を挙げることはできる。つまり、ゼミに入っていないのだ。ゼミへの加入は卒業要件の内に入っていない。そんなもったいないという声があるかもしれないが、ゼミの価値と自身のペースとを比較してみると、私にとって自身のペースの価値のほうがどうやら勝るらしい。これは人によって答えは別だと思うのであくまでも参考程度に。

 

 

まとめ

1 マイペースは個性ではなく誰もが持っている普遍的なもの

2 マイペースを個性だと錯覚するのはなぜか。社会生活上では時間厳守が前提となっているのが大きな原因の一つである。

3 対処法は人それぞれだが常に意識しておくべきことを2つあげた。

 

ここまで全て直感で書いてきた。少し支離滅裂気味な気がするけど、あくまで思いつきだから仕方ないよね(予防線張ってるみたいで申し訳ないです)。

大学生は自由に使える時間が沢山あり、それを何に使うかはまさに千差万別。だからこそ就職活動における優劣という基準で見てみると、この数年の間で他人と天と地ほどの格差が出てしまうことは往々にしてある。

 

そんなことを思考の片隅に置きながら、今自分は何に興味をもち、何をしたいのかについて考え続けている今日この頃でございます。

 

「武器輸出と日本企業」という講演の感想

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どうも。

 

今日は上の画像の「武器輸出と日本企業」という講演に行ってまいりました。

はい、早速望月さんの講演の感想なのですが、「武器輸出に傾倒することはあまり良いとはいえない」ということはひしひしと伝わってきました。しかし、「良くない」ということを暗黙の前提としているのか、「なぜ」という部分が弱いように思いました。しかし、今こういうことが起こっているという、最前線を知ることができたのは良い経験だと思う。

ここから気になったところを講演で適用された資料から少し引用させてもらう。

 

1,991年に6,790億ドルの世界の軍事費は、2016年には1兆6,860億ドルに→2.5倍に

ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の資料によると、 軍事費は確かに2011年までは年々上がっていってましたね。しかし、アメリカは2011年を境に軍事費が停滞気味のようです。そこで今トランプさんがでてきて軍事費増やしてやるなんて言ってるのですが、今後どうなっていくんでしょうねえ。私みたいな素人には全く予想がつかないのですが気にはなります。

 

慎重な中小企業の内部の声 

「技術流出やモラルの点で、本当にそうすることが問題ないかをよく議論する必要がある」

「一度防衛の仕事を受けたら民生品のように簡単にやめれない。言葉や輸出の規制、世論の武器商人への批判もある。武器至上に入っていくことに躊躇する。」

 など、軍事に携わることにはあまり乗り気ではない企業関係者がいるのはやはり当然であろう。誰だって「人殺しの手助けなんてしたいわけがない」というふうに思ってもおかしくはないはずだからだ。

 

これ以上引用してもちょっとしたくだらない感想でしかないのでここでストップします。

 

次は憲法をめぐる情勢報告の感想。

いま争点となっているのは、9条の1と2項を如何に無効化するかを考えている安倍さん達に対してどうやって抵抗していけばいいのかということです。安倍さんが勝てば日本は実質的に戦争ができる国になる、らしいです。私としては戦争できるようになってそれからどうするのっていうのを聞きたいのですが、いまいちそこがよくわからないです。安倍さんとしても戦争をやろうなんて思ってるとはさすがに直感では思えないのですが、何か別に意図があるのでしょうか。

jp.wsj.com

上記の記事から引用させてもらう。

なぜ安倍首相が憲法改正に重点的に取り組みたいという強い衝動に駆られるのかという疑問が残る。その動機の中心にあるのは、策略的というよりも心理的なものである可能性が高い。安倍首相は昔から自らを21世紀のために日本を作り変えるという使命を帯びた「信念の政治家」と称してきた。その使命は、第二次大戦中の東條内閣で閣僚を務めた後(戦犯容疑者として逮捕されるが、その後不起訴となった)、自民党初代幹事長を経て首相に就任した祖父、岸信介氏から受け継いだものである。なかなか消えない敗戦の傷跡(その最も突出した例が日本国憲法)を消し去ることも安倍首相の使命の一部なのだ。それをすることで、安倍首相は、傷つけられたと思い込んでいる日本人のプライドが回復することを願っている。

 もう一つ引用する。

 

19世紀の終わりに日本の政府と社会を作り変えた明治時代の政治家のように、安倍首相は急成長するアジアでの国際競争へ向けて日本を強化したいと考えている。アベノミクス憲法改正もこの目標の実現を意図してのことなのだ。問題は日本国民が安倍首相の使命を自分たちのものとして受け入れるかどうか――もしくは、憲法改正の夢を追うことが、より実際的な政治的・経済的発展を阻むことにならないかどうか、である

 トバイアス・ハリス氏の文章なのだが、これは確かに安倍首相がそう思っていても直感では不思議ではないと思えてしまうのだがはたしてどうだろうか。もしコレが正鵠をいているとした場合、日本が戦争できる国になることに対する猛反発をしている姿に何か疑問符がついてくるような気がすると思うのだがどうだろうか。

 

最後は「共謀罪についての緊急報告」の感想。

これは仮の例を上げれば、公園にバードウォッチングのために双眼鏡を持っていったら準備行為として共謀罪に認定されてしまう可能性が0ではないということらしいです。ああ、私としては反対ですね。単純な話、何気ないことで警察に犯罪行為をやっているんじゃないかと勝手に妄想されるとかたまったものじゃありませんからね。

 

ここからは道中の写真を公開していこうと思います。

 

↓京阪出町柳駅近くの橋にて

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 ↓本日講演が開催された場所である明徳館です。歴史を感じる。

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 ↓自然と調和している感じがして良いですね。

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↓終了してから帰る途中。普通の道ですら歴史を感じる。

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↓また京阪の出町柳駅付近の橋。多くの人が思い思いにここにいる、ああ、良いですねぇ・・・。

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↓上と同じ橋で反対を向いてみた。清涼感がありますね。

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↓いきなり飛んで枚方市駅の付近のカワラバトさん。黒くてキリッとしてる。前にも見たことあるような。

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枚方TSITE。いやあ、綺麗、でかい、近未来的、すごく目立ってます。さすがツタヤだ。

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↓ここにくるといつも生きててよかったと感じることができます。道路を車が通り、人々が河川敷で遊び、野鳥が食物を得ようと飛び回ったり地面を徘徊したり川の下へ潜水したり。蝶が歩行者の前を悠々と横切っていったり。遠くまで見渡せる先にあるビル群と山々。河川敷の向こう側にある住宅街。全てが調和しているようなそんな感じがします。

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英語学習の方法と英語を学ぶ目的について

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どうも。

 

私は幼稚園児時代の頃から英会話を親に受けさせられ、小学時代は公文式、中学と高校時代は塾でも英語を勉強した。つまりある意味で10年以上英語を勉強してきたわけだ。しかし、大学生入学してから半年たってもなお、それなりに英語を話し、聞き、書き、ことは全くできなかった。日本語に訳しながら少しずつその訳した日本語を読むというダメっぷりであった。10年以上かけたにも関わらず英語がまともに使えるようにはならなかったのはなぜか。それは英語を学ぶ目的が錯綜していたから、そしてより良い方略を本気で探そうとも考えようともしなかったから。

 

今から述べる過去の経験は現在からの脚色が混ざっていると思うが許して欲しい。

 

幼稚園時代、親は私を「流行りに合わせて」英会話教室に通わせていた。もちろん文法なんて学習するはずもなく、ただ単語に対応する写真をみてこれはa appleとかa dogですよとかいうのを聞いたり自分でも真似て言ってみたり。大体その程度のことしかしていなかった気がする。英語学習最初の一年は英語というものが存在しているということを知るという成果のみで終わった。今思えばもう既にこの時点で英語学習は破綻していた。上の赤字、つまりどうすれば英語ができるようになるか、そして英語を学ぶ目的という2つの問題を完全に無視していたからだ。当時の私はそれらについてウンウン悩める程頭が良くなかったし、ただ通わされているだけなこともあってテキトーにナアナアで受けているといった感じだった。

 

次に小学時代の公文式、各文法項目ごとに分けたプリント形式でこの文を日本語に英語に訳してくださいとか、英語を並べて文を完成させてくださいというのと、少しのリスニングだった。比率で言えば4.5 : 4.5 : 1といった感じだろうか。小学1年から5年まで、ずっとこれ「だけ」を続けた。当時英検という目的があり、小3で英検4級、小4で3級を取った。このときに少しだけ文法についての知識が頭に入ったことは英語への慣れという意味で役に立ったと思う。とはいえこの五年間、SWRLの内3級程度にRとLがほんの少し向上しただけだった。英語学習の目的を見誤った結果である。英検は目的ではなく指標であるべきだった。

 

中学時代、市立中学と塾で英語の授業を受けた。当然文法以外の項目を教わることはなかった。そして定期テストと高校受験という目的の範囲内でしか勉強しなかった。やはりこの3年間でもSWRLの内Rだけがほんの少し伸びただけだった。

 

高校時代、ある私立大学受験を目的にした。私立学校と塾ではさらなる高度な読解、大量の単語の暗記などが行われた。この3年間でもやはり主にRが向上しただけであった。

 

端的に言って、英語ができないままで当たり前のようなやり方と意識でしか英語を勉強してきこなかった。以下に、以前自分がしていた学習方略の問題点を自分でわかる限り箇条書きで挙げる。

・まずもって明確な目的がなかったこと。ゴールがなければスタートもない。常にブレブレであやふやであった。英語はただの受験科目、テスト科目の内の一つでしか無く、点数にしか興味がなかった。この程度の意識の時点でお察しである。

・まず英会話から学習を始めたこと。文法を学ばずにいきなり英会話から始めるのはどうかしてた。まず始めるべきは発音、その次に文法であった。

・発音を学ばずにいきなり文法に入ったこと。これはつまりカタカナ発音のまま英語を学ぶということである。これほど恐ろしいことはない、のだがそれをやってしまった。今もカタカナ発音の矯正に苦労している。

・文法だけでなく同時にリスニングやスピーキング等音の面での学習を怠ったこと。最悪としか言いようがない。

・高校時代、読解さえできれば「英語ができると言える」という謎の信念を持っていた。読解しかしてこなかった私は読解以外には何もできず、そういう自分を肯定するための防衛機制が働いてそうなった。それに私立大学受験でしかもあまりレベルの高くない大学を志望していてWもLもSもなかったのが相まっていますますその信念を強くしていった。井の中の蛙大海を知らず。臭いものには蓋。

・ちゃんとした計画を立てた学習法を自分で確立しなかったこと。学校の先生や塾の講師やネットにほいほいのせられて何度も学習法や教材の鞍替えをした。先人の知恵を借りるのは良いがいくらなんでも短期間で変えすぎた。言語学習は長期間一定の負荷を持つ学習を継続してこそ意味があるのに。

 

なんとなく支離滅裂になってきた気がする。だからとりあえず骨子は

・明確な目的は必須

・常により良い方略を探し続けることは必須

の2つであることを分かっていただければ良いです。

 

さて大学に入学してから一ヶ月ほど立った頃、私は悩んでいました。アメリカやイギリスの文化に興味が湧き、それに英語という言語そのものにも興味がわき、しまいには日本語に翻訳されていない英語で書かれた本を読みたいという欲がでてきたのです。これらの欲や興味を包括して目的化するなら、

日本語とは全くタイプが異なる言語、つまり英語の世界をできるだけ日本語を廃して英語だけで堪能したい。

「この日本語を廃して」というのは日本語を使って英語を解釈しようとすればするほど間違った解釈へとずれていくからです。例えば単語帳、あれはできるだけ英語の意味に近いであろう日本語を選んでるだけなので、イコールではないのです。だから使う時は注意が必要です。それに細かなニュアンスも各自で調べる必要があリます。このように英語の感覚や世界観、物事の見方を理解しなければ日本語によってこれらが歪んでしまう可能性があるのです。ですから「日本語を廃して」という言葉を使いました。

まあ、興味や欲がでてきた理由は単純に講義や本を読んで惹かれたからというごく単純なものですが、まあそれはさておき、このために受験をおえてからやめた英語学習を再開しようとしたのですが、流石にこの時の私は少しだけバカ成分が抜けていたので明確な目的と綿密な計画をたてて学習をすすめました。そう!その計画の根幹をなしていたのが

英語上達完全マップ

なのです!!!

この学習法は当時私にとって画期的でした。SWLRの全てをカバーしているではありませんか!おまけにボキャビルのやり方もついてくる!最高の学習法だ!等と有頂天になった私は発音の学習と並行しながらこの学習法に沿って学習していくのでした。しかし他の学習法を吟味せずひとつだけを見て決めるという安直で短絡的な癖はまだ抜けていなかったようです。

 

英語を英語で理解し、英語で考えて英語で話す(もちろん英語の発音で)、これが私の今の目標です。学習開始から数ヶ月後、この目標を抱いた瞬間、この学習法に違和感を抱き始めました。その違和感の内容を箇条書きで列挙します。

・瞬間英作文について。あれは日本語を英語に訳してるだけで英語を話している、英語で考えているとは程遠い。「どんどん瞬間英作文」のどの文も1秒程度で訳して英語で言えるようになったがそれで英語が少しでも楽に話せるようになったかと言えばNOと言わざるを得ない。 いざ英語で考えて英語で話そうと思っても何もでてこないではないか、この時点で早々に瞬間英作文を切り上げた。3ヶ月毎日一時間半位必至反復練習したんですけどね、悲しいです。これは私の目的にはそぐう教材ではなかった。翻訳者を目指す人が使うべき教材なのではないだろうか。

・音読パッケージについて。決められた量より少し多めで継続してやったが効果があったかと言えば微妙と言わざるをえない。というか決められた大まかな基準の回数がそもそも結構少ないから効果は薄めなのだろう。現在やっているシャドーイングの方が短期間であっても遥かに効果がある様に思われる。

・文法について。また文法ですねはい。私は「フォレストの解いてトレーニング」を使ってちびちびと瞬間英作文をしていましたが先の項目と同じように目的にそぐわないのでやめました。

・精読について。私は「英文解釈教室」を使っていました。英語上達完全マップをやめても続けようかなあと思ったぐらいには面白かったです。パズルみたいな感じで面白いんですけどとにかく難解でした。結局は一周しただけでやめたんですけどね。一つやるだけで1、2時間かかるので他の学習法との兼ね合いでやめざるを得ませんでした。

 

などなど、様々な問題が起こり結局は自分で方法を確立するしかないと確信した。その方法を箇条書きで列挙していく。これはある程度文法ができているというのが前提にあるので注意してください。

多読。もちろん英語のままで理解する。分速150を目指してますが中々届きそうにないです。

シャドーイング。定番中の定番。2ヶ月続けるだけでもリスニングに多大なる効果がありました。

ヒトリゴト英会話。これは英会話の代理です。一定時間英語で考え英語でヒトリゴトを言うのです。案外頭使いますよこれ?試してみてください。外国人と話すほどではないとは言え難しいはずです。私は、まだ英会話ができるほどのレベルではありませんからね。まずはこれでという感じです。

文法。これはネイティブの感覚に出来るだけ近づくという意味合いが深いですね。ネイテイブは限定詞をどのような意識でどのようなときにどのような意味を込めて使ってるのかとか。何冊か本を読んできましたが中でも一億人の英文法は良いですね。

単語。一個一個覚えていくしかないですね。まず市販の単語帳は100%不要です。使いません。なぜなら覚えたり知る必要に迫られた時にしかそもそも人間は効率的な長期記憶ができませんし、英語の細かなニュアンスも覚える必要があるし、しかも英語のままで単語を理解するので使わないんです。偶に英英辞典の単語の解説がわからない時は英和辞典見ますけどね。

発音。ネイテイブの真似をするしかない。英語喉、英語耳、ジュミック今井のフォニックスをやって、今はシャドーイングで発音を鍛えてる。やっぱり難しい。

辞書。私はロングマンの英英辞典、ジーニアス英和辞典&和英辞典を基本的に電子辞書で使ってます。基本的に英英辞典で調べ、それでわからない時は英和辞典、それから英英辞典もう一回調べる、と言った感じですかね

 

などなどまだまだ改善の余地がありそうだが今はこれで頑張るしかない。

伊吹山にて 2016年11月26日

こんにちは

 

タイトル通り以前に伊吹山にて写真を撮ってきたのですが、公開するのを忘れていました。では早速見ていきましょうか。

 

一枚目:伊吹山ドライブウェイ内の駐車場からの一枚です。山間部にある街は自然と一体化しているような感じがして良いですね。関ヶ原の決戦場が山に隠れて写ってないですね。

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二枚目:山の色が緑と茶色で綺麗に分かれていて面白いです。遠くに写っている街は岐阜県本巣市でしょうか。

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3枚目:こちらも山模様がくっきりと分かれていて面白いです。

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4枚目:山って凄いですね。壮大なスケールに圧倒されます。

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5枚目:琵琶湖と竹生島が写っていますね。

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6枚目:観光者用の登山道です。歩きながら絶景を楽しめました。やはり山は良いですね。

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7枚目:さあ登るぞという場面ですね。次の日筋肉痛になりました。

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8枚目:少しもやっとしていますが人工物が写ってなく自然がただ淡々とそこにあるというような感じがしたのでピックアップしました。自分なんてちっぽけな一個に過ぎないというのがよくわかりました。

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9枚目:手前の人工物と遠方の山々との対比がなんだか面白い。

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 合計133枚撮り、9枚ピックアップしました。初心者でまだ慣れてないのにマニュアルフォーカスで撮ろうとしたのが仇になって、ピントが合ってない写真を量産したのは悲しい思い出です。しかし今写真が面白いと思えるのもこの時あってのことなので、ある意味良い思い出でもあります。

何か突っ込みどころがあればコメントにてお待ちしております。

シーサーブログから移ってきました

はじめまして、かしこいにです。

シーサーブログからこちらに来た主な理由は、無料ユーザーの場合、シーサーブログの容量制限が一律5GBなのと比べ、はてなブログは月間300MBだからです。

ブログ開始前は一眼レフを買うというビッグイベントが存在するなんてあるとは思っていなかったのです。容量制限については特に何も考えていませんでした。だから編集が初心者にも容易で、無料で広告を消せるという理由でシーサーブログにしました。しかし一眼レフ購入後、容量制限が5GBしか無いことに気づき、このままで制限に達するのは時間の問題だと思い始めました。そもそもブログが続くかすら怪しい私には、プレミアムプラン等の有料コースに入るという選択肢は最初からありませんでした。だから違うブログに移ることにしました。はてなブログは月間300MBと、偶に写真を公開する程度の無料ユーザーにはベストマッチだからです。それとまだシーサーの方で制限に余裕があるのにこちらに移ってきた理由は、私の小さな好奇心が働いたからです。

以前のブログはこちらです↓

 

kerrykerry.seesaa.net