かしこいに

写真、英語、書評、思いつきなど

無気力の対処法について~もういや、何もしたくない、疲れた、もうやめる?~

f:id:kasikoini:20170617223100j:plain

今もそうなのですが、時々無気力になります。なにもしたくない気持ちが湧いてくるのです。そしてもう疲れたからいいやと自分に言い聞かせ、やるべき日課を放棄してなにか別のことをやり始めるということがよくあります。

 

正確には「何もしてない」のではなく「別のことをする」なのですが、日課をやっていないという意味で何もやっていないということにしています。だってこのような状況においての「別のこと」といえばニコ動で面白い動画を漁ったり、スマホゲーですからね。私にとってはこれらは何もやっていないのと同然です。

 

自分でも何やってんだってよく思ってます。しかしどうしてか中々克服できない。自分なりに分析して改善方法を試してはいるのですがやはり、過去の体験というか記憶というか、体に染み込んだ行動の記憶といえば良いのでしょうか。それこそ中毒症状みたいな感覚といえば良いのでしょうか、

 

「やめちゃいなよーやめちゃいなよー遊んじゃいなよーうぇーいうぇーいうひーうひー」

 

という悪魔の囁きがきこえてくるのです。

といってもそもそもこのような誘惑が生じるのは、日課である英語学習を楽しみながらできていないからなのですがね。やはり英語そのものに関心があっても、それに習熟するための訓練ととなるとどうしても退屈な面というのはでてきてしまいますからね。そこの退屈な面と接している時に悪魔の囁きが聞こえてくるのです。そこを如何に面白くするのかというのが喫緊の課題です。そうすれば英語学習は面白くなり、こうした無気力状態も少なくなるはずですからね。

 

無気力状態を休養期間として英気を養うというのも一つの解決方法だとは思いますが、やはりどうしても踏ん切りが付かないんですよね。「一日中何もしなくて良いのか」っていう非難が聞こえてくるような気がするのです。大学生とはいえ時間には限りがある、だからこそ時間を無駄にするのは気が引ける、というありがちな理由で踏ん切りが付かないのです。

とりあえず本を読んで心を落ち着かせるというのも一つの手ですが、無気力状態の時はやはり何も考えずに得られる快楽、つまりニコ動やゲームに流れてしまいがちでなんですよね。ですからそもそも本を読めるだけの気力があれば日課を続けていくことができているはずです。ですのでこの手はNG。

と、今この文章を書いていて思い出したことがあります。つまり「何も考えずに得られる快楽」を予め設定しておいて、それをできるだけ無気力状態から離れることができるようなものにしておくという方法です。私の場合、ラノベや軽めの小説とか写真を取りに行くということでしょうか。前者はサラサラと読めてあまり頭を使うことがなく、それでいて「本」であることに変わりはないので活字を通じて無気力状態を脱すると言った感じでしょうか。一つ上の「本を読んで心を落ち着かせる」の「本」はここでの「本」とは違って新書やノンフィクションや専門書などの普段私が読んでいる本気で考えて読まないとそもそも理解できないような「本」のことです。後者は構図や被写体を考える必要はありますが、例えば淀川に行ってその雰囲気を感じるだけでも大変リラックス効果があるので、これもやはり無気力状態から脱するのには有効な手段ではないかと思います。

 

とはいえ、上記の対処法を試して上手く無気力状態を脱しても数日後とか数週間後にはまた無気力状態に陥ってしまうという無限ループが最近の傾向でしょうか。こうして文章化することもどこがいけなくてどこをどう治せばいいのかという事が分かるので必須で、無気力脱出には役立つとは思います。が、それで対処すべき場所がわかり、対処法を取り敢えず考え、それを試し、ある程度は上手くいっても、やはり無限ループからは抜け出ることができないでいるのが今です。

 

ですので、最近はこのループを受け入れるしかないんじゃないかとか、このループを如何に上手くコントロールできるのかとか、そもそもコントロールできるのかといったことを考えたりしています。

 

つまり、まだまだ手探り状態です。そこでまあ自分でずっと考え続けるというのもありですが、ここで先達の知恵を借りるというのもやはり取るべき方法の一つでしょうか。

先達の知恵と言えばやはり本が無難でしょうか。ではどのような本を読めば良いのでしょうか。

「それはやはり自己啓発本です!!!」

といきなり断定するのは待ちましょう。ここで焦っては今後の解決策考案時に躓いてしまう元になります。よく考えて自己啓発本の中で知恵を探すかどうかを決めましょう。

よく自己啓発本は読むなとか一冊で良いといったような言論をよく見ますが、正しく情報処理ができてちゃんと実行できるなら別に何冊でも読めば良いと思います。本当にできる自信があれば、ですけど。残念ながら私はだめでした。高校時代、「ヒトを動かす」「7つの習慣&それの漫画版全冊」「嫌われる勇気」「ニューアース(この本は自己啓発ではないような)」などなど有名どころを何冊か読んだのは良いですが、「嫌われる勇気」の「アドラー心理学」以外は見事に読んだだけで終わりました。まあ、アドラー心理学が自分にハマったのは多くの自己啓発本を読んだおかげではありますがね。これだけハマった上に4周もしたので今も頭の中に残っています。つまりここから言えることは、自分にあった本を見つけるという目的であれば自己啓発本をあさってもかまわないということでしょうか。私の場合運良く数冊で自分に合ったものを見つける事が出来ました。しかし、やはり自分に合ったものを見つけるというのは時間がかかると思うのでどこかで妥協しなければならないのでしょうね。

 

まあ、現在は自己啓発本というより寧ろ、現実に戻る、つまり無気力でいたくないと思える本を読んだりしています。これは私が思うにここまでに述べた中で1番効くような気がします。つまるところ「ショック療法」と言えば良いのでしょうか。このような本は人によって違ってくると思います。私の例をいくつかあげますと、「銃口」「面白くて眠れなくなる進化論」「スリープレボリューション」「子どもは40000回質問する」「欲望について」「愛するということ」「茶色の朝」「夜と霧」「良き人生について」「歴史とは何か」

あたりでしょうか。ここに挙げたどの本の内容そのものも非常に面白かったのですが、それに加えて現実に戻りたいと思えるような気持ちになったんですよね。はたしてなんでそう思えるのだろうかと考えていた所、共通点のようなものが見えたような気がしました。つまり、過去を顧みて未来をより良くするというような解釈ができる本ならなんでも良いのです。

 

このような本を読むと自分もなんだか「やらねば」というような気分になるんですよね。ミラーニューロンのおかげでもあるのでしょうかね。あ、一般読者向けに優しく書かれた脳科学系の本も無気力の対処法の一助となるのでおすすめですよ。例えば「快感回路」「進化しすぎた脳」などですかね。

 

ああ、この記事を書く時間を日課に費やせば良かったかな・・・今日はまだ日課の一つも終わってないんですよね・・・。まあ、これも無気力対処の一貫ということでひとつ・・・。

 

 

 

 

2017年6月11 枚方市の淀川付近の野鳥写真

 ↓ハシボソガラスさん。一つ一つの羽が綺麗です。

f:id:kasikoini:20170611201613j:plain

 

↓このシルエット感がかっこいい(素人並感

f:id:kasikoini:20170611201619j:plain

 

↓はじめましてヒヨドリさん。スズメ目ヒヨドリヒヨドリ属でスズメの仲間です。初めて木の上にいる野鳥を撮影出来ました。木に触れて脅かさないように、それと綺麗に撮れるように姿勢を変な位置で固定しなければならなかったので体が痛かったです。

f:id:kasikoini:20170611202500j:plain

 

↓毛づくろいをしているのでしょうか?

f:id:kasikoini:20170611202510j:plain

 

↓これも毛づくろいですかね?

f:id:kasikoini:20170611202519j:plain

 

↓背伸びですかね?

f:id:kasikoini:20170611202525j:plain

 

↓口をパクパクしていました

f:id:kasikoini:20170611202116j:plain

 

 

2017年6月10日 枚方市付近の淀川の野鳥写真

↓小枝の上のハシボソガラスさん。5分ぐらい観察していたのですが全く動きという動きがなかったです。休憩していたのでしょうか。f:id:kasikoini:20170610200554j:plain

 

↓これはカワウですかね?初めて見ました。カツオドリ目ウ科ウ属のカワウさんはじめまして。

f:id:kasikoini:20170610200943j:plain

 

↓遠くにいるハシボソガラスさんと自転車

f:id:kasikoini:20170610201732j:plain

 

↓スズメさんが獲物をゲット!しかし、その獲物の動きが素早いみたいで、落としたり捕らえたりを何回も繰り返していたのですが結局逃してしまっていました。

f:id:kasikoini:20170610201838j:plain

 

↓獲物を今にも落としそうなスズメさん。

f:id:kasikoini:20170610202231j:plain

 

↓つぶらな瞳が愛くるしい

f:id:kasikoini:20170610202344j:plain

 

↓一体誰でしょうか・・・わからないです・・・

f:id:kasikoini:20170610202522j:plain

 

コサギさん。美しい。しかし、ここの池に油のようなものが浮かんでいたのですがあれはどこから流れてきているのでしょうか・・・

f:id:kasikoini:20170610203333j:plain

 

↓ブレていてかつ暗いですがこちらはヒバリさんでしょうか。

f:id:kasikoini:20170610204358j:plain

 

↓あまり上手くは反射してくれませんね。それにしてもこのマンション綺麗ですね。

f:id:kasikoini:20170610204744j:plain

「マイペース」を取り戻せ

f:id:kasikoini:20170527222334j:plain

ドライヤーで髪を乾かしながらぼーっとしている時にフッと思い浮かんだ変な直感をそのままここに書くつもりなので、未熟な見識で見当違いで、n番煎じで同じようなことがネットにあったとしても、私が思いついた事のリストとして残しておくつもりです。

 

 

「あなたはマイペースな人だね」

「私はマイペースなところがあるので・・・」

「私の個性はマイペースなところです!」

などなど良い意味でも悪い意味でも「マイペース」という言葉は往々にして多くの年代で使われている。当記事で話題にするのは相手との約束を平気で反故にしたり、思ったことを場の状況を考慮せずに言ってしまうなど、悪い意味でのマイペースではなく、他人に特に害を与えず、なおかつ自分に従って生きることができるという、良い意味でのマイペースを扱う。

 

言ってしまえば、

そもそも自分のペースを持っていない人間などいない、誰もが持つ普遍的なものであり、「個性」ではない。

 

いきなり本題に入るが、なぜマイペースは他人が持っていない特有の「個性」として扱われているのだろうか。

 

そしてなぜそれに多くの人は突っ込まず(私の過去の記憶ではマイペースについて疑問に思う人は0だった。あくまで筆者の体験談のみで話を展開しているので一般論ではない)、さもありなんと言った風に受け取るのだろうか。なんとなく察せると思うが、学校や会社など外部が決めるスケジュールに追われ、良くも悪くもそれに従って生きることに慣れきっており、そのために自分自身のペースを常に放り投げていなければならない。そしてそんなことを幼少の頃から続けていれば当然自分のペースに従って生きるなどあまりにも難しすぎるという結論に至ってしまって、それが当たり前だと思っている人があまりにも多すぎるからなのではと推測する。そしてそのような結論に至ってしまった人は常々こう思う。

 

「自分のペースに従って生きているんだって?ああ!羨ましい!!私もあなたのように生きることができたら!」

 

こうして自分自身のペースに従って生きるというマイペースは誰かの特有の「個性」として成立する。

 

まあ、おかしいよね。

なにがおかしいのか、それはやはり自分に従って生きるということが特有の個性として扱われていることだろう。今の社会は良くも悪くも効率が良くて、24時間営業のコンビニのおかげで何時であっても食べ物に飢えることなんてまずないし、アマゾンなどネットショッピングのおかげで欲しいものは大体ネットで一瞬でポチッと買えるし、わざわざ休日や仕事の帰りに取りに行く必要もなく、短時間で配達してくれる。それはそれで消費者にとっては非常に便利なシステムではある。それはつまり、時間が長くなったり短くなったりと変幻自在に時間が操作されていると言える。

しかし、そのような便利なシステムの裏で働く労働者のがその便利さの代償になっている時があるということは周知の事実だろう。また、特に小中高等学校において子どもたちは皆毎日決められた時間に登校しなければならない(私の通うような一般的な私立大学は自由に時間割が決められるからまだましだとは思うが。それでも面白そうな講義や必修科目を組み合わせるとよく歪な時間割が出来上がることがある)。時間をきっちり守るというのは社会生活上、守るべき前提であり良い面も当然あるが、マイペースという「個性」を存在させるための大きな要因の一つでもあるだろう。他にも大きな要因は沢山あると思うが(特に対人関係とか)今回はこの「時間」に焦点を当てて考えてみる。

時間を守らなければという意識は大きなプレッシャーとなりうる。私が高校生の頃は宿題の提出期限が過ぎるのが怖くて、宿題が配布されたらすぐに終わらせるのが「普通」となっていた。そしてその「普通」は私生活上に多大な影響を与えていた。どんなことでも早く終わらせないといけないような焦燥感に駆られることがよく合った。例えば、FPSはとにかく短時間で多くの敵を倒し、チームに貢献せねばと焦燥感に駆られてずっとやっていた。自転車による移動のときもなぜか時間がもったいないと思いに駆られ、基本的に全力で漕いでいた。三回ある食事も当然全て迅速に済ませていた。

一個人の経験をなんの検証もせず一般論にまで敷衍するのは妥当ではないが、この記事そのものが直感で成り立っているのであえて敷衍させてもらう。間違っていることを承知の上で述べさせてもらう。

つまりこのように時間に迫られるようになると自分のペースがだんだんおかしくなり、自分とは違う外部に支配されたペースによって生きることになり、自分のペースが侵食され歪なものになってしまう。そして挙句の果てに誰かの「マイペース」に日々憧れて過ごすことになる。

  

では自身のペースを取り戻し、維持するにはどうすればよいのだろうか。

 

まず、現在の社会において時間を守るのは当然の義務なので、社会生活上のスケジュール、つまり時間を守るという外部のペースにも従った上で自分のペースに沿って生きていくしかない。

常に心に留めておくべきことは

守らなければならない「外部のペース」をできるだけ最小限に抑え、「自身のペース」をできるだけ最大化する

自身のペースにとって今現在従っている外部のペースが不要であるかどうかを考え続け、不要であるならば時を見計らって切り捨てる

ことである。

外部のペースに関わることは必然であってもそれを減らすことはある程度は可能だろう。では実際にどうするかについては流石に個々人によって全く違うだろうから述べることはできない。

しかし私の実践例を挙げることはできる。つまり、ゼミに入っていないのだ。ゼミへの加入は卒業要件の内に入っていない。そんなもったいないという声があるかもしれないが、ゼミの価値と自身のペースとを比較してみると、私にとって自身のペースの価値のほうがどうやら勝るらしい。これは人によって答えは別だと思うのであくまでも参考程度に。

 

 

まとめ

1 マイペースは個性ではなく誰もが持っている普遍的なもの

2 マイペースを個性だと錯覚するのはなぜか。社会生活上では時間厳守が前提となっているのが大きな原因の一つである。

3 対処法は人それぞれだが常に意識しておくべきことを2つあげた。

 

ここまで全て直感で書いてきた。少し支離滅裂気味な気がするけど、あくまで思いつきだから仕方ないよね(予防線張ってるみたいで申し訳ないです)。

大学生は自由に使える時間が沢山あり、それを何に使うかはまさに千差万別。だからこそ就職活動における優劣という基準で見てみると、この数年の間で他人と天と地ほどの格差が出てしまうことは往々にしてある。

 

そんなことを思考の片隅に置きながら、今自分は何に興味をもち、何をしたいのかについて考え続けている今日この頃でございます。

 

「武器輸出と日本企業」という講演の感想

f:id:kasikoini:20170527201101j:plain

 

 

どうも。

 

今日は上の画像の「武器輸出と日本企業」という講演に行ってまいりました。

はい、早速望月さんの講演の感想なのですが、「武器輸出に傾倒することはあまり良いとはいえない」ということはひしひしと伝わってきました。しかし、「良くない」ということを暗黙の前提としているのか、「なぜ」という部分が弱いように思いました。しかし、今こういうことが起こっているという、最前線を知ることができたのは良い経験だと思う。

ここから気になったところを講演で適用された資料から少し引用させてもらう。

 

1,991年に6,790億ドルの世界の軍事費は、2016年には1兆6,860億ドルに→2.5倍に

ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の資料によると、 軍事費は確かに2011年までは年々上がっていってましたね。しかし、アメリカは2011年を境に軍事費が停滞気味のようです。そこで今トランプさんがでてきて軍事費増やしてやるなんて言ってるのですが、今後どうなっていくんでしょうねえ。私みたいな素人には全く予想がつかないのですが気にはなります。

 

慎重な中小企業の内部の声 

「技術流出やモラルの点で、本当にそうすることが問題ないかをよく議論する必要がある」

「一度防衛の仕事を受けたら民生品のように簡単にやめれない。言葉や輸出の規制、世論の武器商人への批判もある。武器至上に入っていくことに躊躇する。」

 など、軍事に携わることにはあまり乗り気ではない企業関係者がいるのはやはり当然であろう。誰だって「人殺しの手助けなんてしたいわけがない」というふうに思ってもおかしくはないはずだからだ。

 

これ以上引用してもちょっとしたくだらない感想でしかないのでここでストップします。

 

次は憲法をめぐる情勢報告の感想。

いま争点となっているのは、9条の1と2項を如何に無効化するかを考えている安倍さん達に対してどうやって抵抗していけばいいのかということです。安倍さんが勝てば日本は実質的に戦争ができる国になる、らしいです。私としては戦争できるようになってそれからどうするのっていうのを聞きたいのですが、いまいちそこがよくわからないです。安倍さんとしても戦争をやろうなんて思ってるとはさすがに直感では思えないのですが、何か別に意図があるのでしょうか。

jp.wsj.com

上記の記事から引用させてもらう。

なぜ安倍首相が憲法改正に重点的に取り組みたいという強い衝動に駆られるのかという疑問が残る。その動機の中心にあるのは、策略的というよりも心理的なものである可能性が高い。安倍首相は昔から自らを21世紀のために日本を作り変えるという使命を帯びた「信念の政治家」と称してきた。その使命は、第二次大戦中の東條内閣で閣僚を務めた後(戦犯容疑者として逮捕されるが、その後不起訴となった)、自民党初代幹事長を経て首相に就任した祖父、岸信介氏から受け継いだものである。なかなか消えない敗戦の傷跡(その最も突出した例が日本国憲法)を消し去ることも安倍首相の使命の一部なのだ。それをすることで、安倍首相は、傷つけられたと思い込んでいる日本人のプライドが回復することを願っている。

 もう一つ引用する。

 

19世紀の終わりに日本の政府と社会を作り変えた明治時代の政治家のように、安倍首相は急成長するアジアでの国際競争へ向けて日本を強化したいと考えている。アベノミクス憲法改正もこの目標の実現を意図してのことなのだ。問題は日本国民が安倍首相の使命を自分たちのものとして受け入れるかどうか――もしくは、憲法改正の夢を追うことが、より実際的な政治的・経済的発展を阻むことにならないかどうか、である

 トバイアス・ハリス氏の文章なのだが、これは確かに安倍首相がそう思っていても直感では不思議ではないと思えてしまうのだがはたしてどうだろうか。もしコレが正鵠をいているとした場合、日本が戦争できる国になることに対する猛反発をしている姿に何か疑問符がついてくるような気がすると思うのだがどうだろうか。

 

最後は「共謀罪についての緊急報告」の感想。

これは仮の例を上げれば、公園にバードウォッチングのために双眼鏡を持っていったら準備行為として共謀罪に認定されてしまう可能性が0ではないということらしいです。ああ、私としては反対ですね。単純な話、何気ないことで警察に犯罪行為をやっているんじゃないかと勝手に妄想されるとかたまったものじゃありませんからね。

 

ここからは道中の写真を公開していこうと思います。

 

↓京阪出町柳駅近くの橋にて

f:id:kasikoini:20170527220007j:plain

 

 

f:id:kasikoini:20170527220114j:plain

 

 ↓本日公園が介さされた場所である明徳館です。歴史を感じる。

f:id:kasikoini:20170527220229j:plain

 

 ↓自然と調和している感じがして良いですね。

f:id:kasikoini:20170527220335j:plain

 

↓終了してから帰る途中。普通の道ですら歴史を感じる。

f:id:kasikoini:20170527220513j:plain

 

↓また京阪の出町柳駅付近の橋。多くの人が思い思いにここにいる、ああ、良いですねぇ・・・。

f:id:kasikoini:20170527220633j:plain

 

↓上と同じ橋で反対を向いてみた。清涼感がありますね。

f:id:kasikoini:20170527221818j:plain

 

↓いきなり飛んで枚方市駅の付近のカワラバトさん。黒くてキリッとしてる。前にも見たことあるような。

f:id:kasikoini:20170527221922j:plain

 

枚方TSITE。いやあ、綺麗、でかい、近未来的、すごく目立ってます。さすがツタヤだ。

f:id:kasikoini:20170527222105j:plain

 

↓ここにくるといつも生きててよかったと感じることができます。道路を車が通り、人々が河川敷で遊び、野鳥が食物を得ようと飛び回ったり地面を徘徊したり川の下へ潜水したり。蝶が歩行者の前を悠々と横切っていったり。遠くまで見渡せる先にあるビル群と山々。河川敷の向こう側にある住宅街。全てが調和しているようなそんな感じがします。

f:id:kasikoini:20170527222334j:plain

英語学習の方法と英語を学ぶ目的について

f:id:kasikoini:20170527223236j:plain

 

どうも。

 

私は幼稚園児時代の頃から英会話を親に受けさせられ、小学時代は公文式、中学と高校時代は塾でも英語を勉強した。つまりある意味で10年以上英語を勉強してきたわけだ。しかし、大学生入学してから半年たってもなお、それなりに英語を話し、聞き、書き、ことは全くできなかった。日本語に訳しながら少しずつその訳した日本語を読むというダメっぷりであった。10年以上かけたにも関わらず英語がまともに使えるようにはならなかったのはなぜか。それは英語を学ぶ目的が錯綜していたから、そしてより良い方略を本気で探そうとも考えようともしなかったから。

 

今から述べる過去の経験は現在からの脚色が混ざっていると思うが許して欲しい。

 

幼稚園時代、親は私を「流行りに合わせて」英会話教室に通わせていた。もちろん文法なんて学習するはずもなく、ただ単語に対応する写真をみてこれはa appleとかa dogですよとかいうのを聞いたり自分でも真似て言ってみたり。大体その程度のことしかしていなかった気がする。英語学習最初の一年は英語というものが存在しているということを知るという成果のみで終わった。今思えばもう既にこの時点で英語学習は破綻していた。上の赤字、つまりどうすれば英語ができるようになるか、そして英語を学ぶ目的という2つの問題を完全に無視していたからだ。当時の私はそれらについてウンウン悩める程頭が良くなかったし、ただ通わされているだけなこともあってテキトーにナアナアで受けているといった感じだった。

 

次に小学時代の公文式、各文法項目ごとに分けたプリント形式でこの文を日本語に英語に訳してくださいとか、英語を並べて文を完成させてくださいというのと、少しのリスニングだった。比率で言えば4.5 : 4.5 : 1といった感じだろうか。小学1年から5年まで、ずっとこれ「だけ」を続けた。当時英検という目的があり、小3で英検4級、小4で3級を取った。このときに少しだけ文法についての知識が頭に入ったことは英語への慣れという意味で役に立ったと思う。とはいえこの五年間、SWRLの内3級程度にRとLがほんの少し向上しただけだった。英語学習の目的を見誤った結果である。英検は目的ではなく指標であるべきだった。

 

中学時代、市立中学と塾で英語の授業を受けた。当然文法以外の項目を教わることはなかった。そして定期テストと高校受験という目的の範囲内でしか勉強しなかった。やはりこの3年間でもSWRLの内Rだけがほんの少し伸びただけだった。

 

高校時代、ある私立大学受験を目的にした。私立学校と塾ではさらなる高度な読解、大量の単語の暗記などが行われた。この3年間でもやはり主にRが向上しただけであった。

 

端的に言って、英語ができないままで当たり前のようなやり方と意識でしか英語を勉強してきこなかった。以下に、以前自分がしていた学習方略の問題点を自分でわかる限り箇条書きで挙げる。

・まずもって明確な目的がなかったこと。ゴールがなければスタートもない。常にブレブレであやふやであった。英語はただの受験科目、テスト科目の内の一つでしか無く、点数にしか興味がなかった。この程度の意識の時点でお察しである。

・まず英会話から学習を始めたこと。文法を学ばずにいきなり英会話から始めるのはどうかしてた。まず始めるべきは発音、その次に文法であった。

・発音を学ばずにいきなり文法に入ったこと。これはつまりカタカナ発音のまま英語を学ぶということである。これほど恐ろしいことはない、のだがそれをやってしまった。今もカタカナ発音の矯正に苦労している。

・文法だけでなく同時にリスニングやスピーキング等音の面での学習を怠ったこと。最悪としか言いようがない。

・高校時代、読解さえできれば「英語ができると言える」という謎の信念を持っていた。読解しかしてこなかった私は読解以外には何もできず、そういう自分を肯定するための防衛機制が働いてそうなった。それに私立大学受験でしかもあまりレベルの高くない大学を志望していてWもLもSもなかったのが相まっていますますその信念を強くしていった。井の中の蛙大海を知らず。臭いものには蓋。

・ちゃんとした計画を立てた学習法を自分で確立しなかったこと。学校の先生や塾の講師やネットにほいほいのせられて何度も学習法や教材の鞍替えをした。先人の知恵を借りるのは良いがいくらなんでも短期間で変えすぎた。言語学習は長期間一定の負荷を持つ学習を継続してこそ意味があるのに。

 

なんとなく支離滅裂になってきた気がする。だからとりあえず骨子は

・明確な目的は必須

・常により良い方略を探し続けることは必須

の2つであることを分かっていただければ良いです。

 

さて大学に入学してから一ヶ月ほど立った頃、私は悩んでいました。アメリカやイギリスの文化に興味が湧き、それに英語という言語そのものにも興味がわき、しまいには日本語に翻訳されていない英語で書かれた本を読みたいという欲がでてきたのです。これらの欲や興味を包括して目的化するなら、

日本語とは全くタイプが異なる言語、つまり英語の世界をできるだけ日本語を廃して英語だけで堪能したい。

「この日本語を廃して」というのは日本語を使って英語を解釈しようとすればするほど間違った解釈へとずれていくからです。例えば単語帳、あれはできるだけ英語の意味に近いであろう日本語を選んでるだけなので、イコールではないのです。だから使う時は注意が必要です。それに細かなニュアンスも各自で調べる必要があリます。このように英語の感覚や世界観、物事の見方を理解しなければ日本語によってこれらが歪んでしまう可能性があるのです。ですから「日本語を廃して」という言葉を使いました。

まあ、興味や欲がでてきた理由は単純に講義や本を読んで惹かれたからというごく単純なものですが、まあそれはさておき、このために受験をおえてからやめた英語学習を再開しようとしたのですが、流石にこの時の私は少しだけバカ成分が抜けていたので明確な目的と綿密な計画をたてて学習をすすめました。そう!その計画の根幹をなしていたのが

英語上達完全マップ

なのです!!!

この学習法は当時私にとって画期的でした。SWLRの全てをカバーしているではありませんか!おまけにボキャビルのやり方もついてくる!最高の学習法だ!等と有頂天になった私は発音の学習と並行しながらこの学習法に沿って学習していくのでした。しかし他の学習法を吟味せずひとつだけを見て決めるという安直で短絡的な癖はまだ抜けていなかったようです。

 

英語を英語で理解し、英語で考えて英語で話す(もちろん英語の発音で)、これが私の今の目標です。学習開始から数ヶ月後、この目標を抱いた瞬間、この学習法に違和感を抱き始めました。その違和感の内容を箇条書きで列挙します。

・瞬間英作文について。あれは日本語を英語に訳してるだけで英語を話している、英語で考えているとは程遠い。「どんどん瞬間英作文」のどの文も1秒程度で訳して英語で言えるようになったがそれで英語が少しでも楽に話せるようになったかと言えばNOと言わざるを得ない。 いざ英語で考えて英語で話そうと思っても何もでてこないではないか、この時点で早々に瞬間英作文を切り上げた。3ヶ月毎日一時間半位必至反復練習したんですけどね、悲しいです。これは私の目的にはそぐう教材ではなかった。翻訳者を目指す人が使うべき教材なのではないだろうか。

・音読パッケージについて。決められた量より少し多めで継続してやったが効果があったかと言えば微妙と言わざるをえない。というか決められた大まかな基準の回数がそもそも結構少ないから効果は薄めなのだろう。現在やっているシャドーイングの方が短期間であっても遥かに効果がある様に思われる。

・文法について。また文法ですねはい。私は「フォレストの解いてトレーニング」を使ってちびちびと瞬間英作文をしていましたが先の項目と同じように目的にそぐわないのでやめました。

・精読について。私は「英文解釈教室」を使っていました。英語上達完全マップをやめても続けようかなあと思ったぐらいには面白かったです。パズルみたいな感じで面白いんですけどとにかく難解でした。結局は一周しただけでやめたんですけどね。一つやるだけで1、2時間かかるので他の学習法との兼ね合いでやめざるを得ませんでした。

 

などなど、様々な問題が起こり結局は自分で方法を確立するしかないと確信した。その方法を箇条書きで列挙していく。これはある程度文法ができているというのが前提にあるので注意してください。

多読。もちろん英語のままで理解する。分速150を目指してますが中々届きそうにないです。

シャドーイング。定番中の定番。2ヶ月続けるだけでもリスニングに多大なる効果がありました。

ヒトリゴト英会話。これは英会話の代理です。一定時間英語で考え英語でヒトリゴトを言うのです。案外頭使いますよこれ?試してみてください。外国人と話すほどではないとは言え難しいはずです。私は、まだ英会話ができるほどのレベルではありませんからね。まずはこれでという感じです。

文法。これはネイティブの感覚に出来るだけ近づくという意味合いが深いですね。ネイテイブは限定詞をどのような意識でどのようなときにどのような意味を込めて使ってるのかとか。何冊か本を読んできましたが中でも一億人の英文法は良いですね。

単語。一個一個覚えていくしかないですね。まず市販の単語帳は100%不要です。使いません。なぜなら覚えたり知る必要に迫られた時にしかそもそも人間は効率的な長期記憶ができませんし、英語の細かなニュアンスも覚える必要があるし、しかも英語のままで単語を理解するので使わないんです。偶に英英辞典の単語の解説がわからない時は英和辞典見ますけどね。

発音。ネイテイブの真似をするしかない。英語喉、英語耳、ジュミック今井のフォニックスをやって、今はシャドーイングで発音を鍛えてる。やっぱり難しい。

辞書。私はロングマンの英英辞典、ジーニアス英和辞典&和英辞典を基本的に電子辞書で使ってます。基本的に英英辞典で調べ、それでわからない時は英和辞典、それから英英辞典もう一回調べる、と言った感じですかね

 

などなどまだまだ改善の余地がありそうだが今はこれで頑張るしかない。

伊吹山にて 2016年11月26日

こんにちは

 

タイトル通り以前に伊吹山にて写真を撮ってきたのですが、公開するのを忘れていました。では早速見ていきましょうか。

 

一枚目:伊吹山ドライブウェイ内の駐車場からの一枚です。山間部にある街は自然と一体化しているような感じがして良いですね。関ヶ原の決戦場が山に隠れて写ってないですね。

f:id:kasikoini:20170501023843j:plain

 

二枚目:山の色が緑と茶色で綺麗に分かれていて面白いです。遠くに写っている街は岐阜県本巣市でしょうか。

f:id:kasikoini:20170501033218j:plain

 

3枚目:こちらも山模様がくっきりと分かれていて面白いです。

f:id:kasikoini:20170501033747j:plain

 

4枚目:山って凄いですね。壮大なスケールに圧倒されます。

f:id:kasikoini:20170501033951j:plain

 

5枚目:琵琶湖と竹生島が写っていますね。

f:id:kasikoini:20170501034019j:plain

 

6枚目:観光者用の登山道です。歩きながら絶景を楽しめました。やはり山は良いですね。

f:id:kasikoini:20170501034036j:plain

 

7枚目:さあ登るぞという場面ですね。次の日筋肉痛になりました。

f:id:kasikoini:20170501034108j:plain

 

8枚目:少しもやっとしていますが人工物が写ってなく自然がただ淡々とそこにあるというような感じがしたのでピックアップしました。自分なんてちっぽけな一個に過ぎないというのがよくわかりました。

f:id:kasikoini:20170501034211j:plain

 

9枚目:手前の人工物と遠方の山々との対比がなんだか面白い。

f:id:kasikoini:20170501034813j:plain

 

 

 

 合計133枚撮り、9枚ピックアップしました。初心者でまだ慣れてないのにマニュアルフォーカスで撮ろうとしたのが仇になって、ピントが合ってない写真を量産したのは悲しい思い出です。しかし今写真が面白いと思えるのもこの時あってのことなので、ある意味良い思い出でもあります。

何か突っ込みどころがあればコメントにてお待ちしております。

シーサーブログから移ってきました

はじめまして、かしこいにです。

シーサーブログからこちらに来た主な理由は、無料ユーザーの場合、シーサーブログの容量制限が一律5GBなのと比べ、はてなブログは月間300MBだからです。

ブログ開始前は一眼レフを買うというビッグイベントが存在するなんてあるとは思っていなかったのです。容量制限については特に何も考えていませんでした。だから編集が初心者にも容易で、無料で広告を消せるという理由でシーサーブログにしました。しかし一眼レフ購入後、容量制限が5GBしか無いことに気づき、このままで制限に達するのは時間の問題だと思い始めました。そもそもブログが続くかすら怪しい私には、プレミアムプラン等の有料コースに入るという選択肢は最初からありませんでした。だから違うブログに移ることにしました。はてなブログは月間300MBと、偶に写真を公開する程度の無料ユーザーにはベストマッチだからです。それとまだシーサーの方で制限に余裕があるのにこちらに移ってきた理由は、私の小さな好奇心が働いたからです。

以前のブログはこちらです↓

 

kerrykerry.seesaa.net