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アニメ「はじめてのギャル」から考える「理想と現実」

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当記事では、アニメ「はじめてのギャル」の全話を見てからの感想と、当アニメを通して考えた理想と現実について述べていきます。。

 

始まりはニコニコ動画で一話が無料配信されていたのを、なんとなく見たことから始まりました。当時は八女さんかわいいなー程度にしか思っていませんでしたし、どこかで見たことがあるようなありふれてそうな展開だなあと思っていました。

 

しかし、話数を追っていく内にその評価は変わっていきました。最終話を見た後ではじぎゃるのストーリーを頭のなかで現実と照らし合わせてみたところ、この作品には現実と理想という2つの要素があるのを感じました。

当然、原作が漫画ですから理想の部分が多いのは言うまでもないです。しかし、ところどころで現実的な側面が出てきますし、それが物語の進行要素として重要な役割を持つこともあります。前半ではジュンイチの友達に八女さんへの告白を強制させられたり、後半ではジュンイチの少し卑屈な考え方を口にして八女さんを傷つけてしまったりなどですね。

これらは十分に現実でも考えられます。なんせ私自身、罰ゲームでの強制告白をさせられてことがありますし、相手の気持ちを汲み取れきれずに的外れな発言で相手を傷つけてしまったことがたくさんありました。

理想の具体的部分は挙げればキリがないでしょうから、ここでの言及は控えておきます。しかしあえて言うのなら、作者の考える読者の理想か、作者の理想の2つから端を発するものでしょう。

 

この作品の場合で言えば、理想と現実のバランスで言えば、6:4のような気がします。

余りにも理想的な部分が多いように思えたのに、なぜか現実的な感じが結構したんですよね。現実という骨に理想の組み込みという肉付けしていったという感じがするんですよね。

 

随所で現実のような感覚を残すからこそ、ありふれた理想のはずなのにその理想が際立って見える。理想と現実がこのアニメではよく見える。そんな気がします。

 

そして後半になればなるほど彼女彼らは現実の人間らしくなっていくのだが、理想がここぞとばかりに現実に色を加え、理想と現実を混ぜ合わせたハッピーエンドを作り出す。そしてジュンイチと八女さんは幸せなキスをして終劇。

 

言ってしまえば、ジュンイチは基本的に性欲に従って動いているだけでした。まさしくどこにでもいそうな高校生といったところです。しかし、アニメなのでどこにでもありそうな、それこそネットやゲームやエロにはまって女友達の1人もできないような高校生活で終わるはずはありません。作品ですからね。彼には輝かしいストーリーが用意されています。

 

 

どうして私たちはこのようなこの作品で見られるような「誰かと幸せになるという理想」を追い求めるのでしょうか。昔からよくある話でしょう。ボーイ・ミーツ・ガール、ガール・ミーツ・ボーイなど、定式化されていますしね。

私たちはこの理想を「ほぼ無条件に」抱いています。

アリストテレスが言うように確かに私たちは1人では生きていけないという意味で社会的存在です。しかしだからといってそのような理想を抱かなければならないわけではないでしょうがやはりこのような理想を持つものがより良く子孫を残すことができたのでしょう。それに所属する社会が良いと掲げるこの理想を信じた者も同様でしょう。社会に上手く適応できる上に肉食系の人間の方がより存続しそうなのは容易に想像できます。

 

この理想に苦しんでいるのが羽柴ジュンイチであり私達でしょう。ジュンイチさんの方は一話で救済されていますが、私たちは下手をすると死ぬまでこの問題に足をすくわれ続けるでしょう。

「その年齢でまだ結婚してないのか」「お前の容姿じゃ結婚は厳しいだろう」「その年収で過程を持てるのか」「性格的に結婚は諦めろなど」

など、周りから延々とお説教を聞かせれる未来というのもあるかもしれません。しかし「現実は小説よりも奇なり」とあるようにそれはそれは面白い人生を歩む方もおられるでしょうが、ここではそれは話題としません。

「どうして、この理想を抱かなければならないのか、別に抱かなくたってよいのでは」と問うと「それは彼女ができないから言っているにすぎないただの言い訳だろう」おっしゃられるかもしれません。

それはある意味で正しいです。私は彼女なんて一度しかできたことがありませんし、その彼女との関係も数日で自然消滅しましたから、恋愛経験は0に等しいです。恋愛について一切知らないのに恋愛について疑うのはおかしいというのは十二分に理解できます。

誰かと幸せになるという理想は、その文言通りにただ幸せな気持ちでいられるからそうすべきとされてきたというのもあるでしょう。それ以上でもそれ以下でもない。だからこの理想について疑うとすぐに反発の声が挙がってくる。確かにそれは分かります。

 

しかし、アニメや漫画などで暗にこの理想を主張して回るがゆえに、負い目を感じてしまう人というのは現れ続けるでしょう。

 

「アニメの中で彼ら彼女らはあんなにキラキラしているのにこの現実とは一体なんだろう。」と考え込んでしまう人は少なからずいるでしょう。作品はあくまで虚構、一つの理想、一つの架空の世界でしかないです。ですから現実に照らし合わせて考える必要はない。しかし考えてしまう。

確かに現実とリンクさせているものもあるでしょうが、忠実に現実を再現するのは至難の業で、できる人は限られているでしょう。現実は余りにも複雑怪奇ですからね。そういうのが出てくるまでに、このような理想を暗に秘めた作品が川が反乱するがごとく溢れかえっているでしょう。

 

それこそ劇中での坂本慎平が何回も羽柴ジュンイチに怪しげなものを根拠に色々と吹聴して、負い目を感じるような悪ノリをさせようとしていたように、いつの間にかに暗に込められた理想に反応し、負い目を感じるなど現実に対して負の感情を抱いてしまう人がいても全くおかしくないでしょう。

だからアニメや漫画など作品は規制されるべきだなどと、わけの分からない事を言うつもりはありませんが、そういう側面もあるというのは間違いないでしょう。アニメや漫画を見て特に何の影響を受けない人というのも当然いるでしょう。しかし、その逆の人もやはりいるというのもおかしくありません。

 

現実に負の感情を抱く人たちは一体どうやってそれを取り除けばよいのでしょうか。私には皆目検討が付きません。