かしこいに

大阪府在住の大学生。写真、英語、書評、思いつき、考察など。

けものフレンズにおけるサンドスターの意図についての考察

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多くの人はこう思っているのではないだろうか。

「フレンズはみんな優しくて協力しあって生きている。なんて美しい関係だろうか」

と。

 

しかし、なぜそのような関係であるかを疑った人はいるのだろうか。サーバルジャガーもアルパカもツチノコもプレーリーもヘラジカもみんなみんな優しい。

優しすぎてその優しさを疑う事はもはや野暮であるという感が否めないがそれはさておき。

 

一端立ち止まって欲しい。普通の自然に生きる動物がいきなり人間の言語力を持ったとして、彼女たちはどのように行動するだろうか。

いくら日本語の能力や一般常識を手に入れたからと言ってそれに従う義務はない。いつも通り他の動物を殺して食べても良いのだが、彼女たちはそれをしない。というか寧ろ積極的にコミュニケーションを取ろうとする。つまり動物を殺して食べるという生存本能だけが非常に強く抑制されており、反対に人間の能力の内の言語力(コミュ力と言って良いかもしれない)だけが非常に強調されている。この強調というのは違和感を感じる人がいるかもしれないが、私にはむしろある動物とある動物が人間の言語で会話するという絶対に有り得ない状況の方に違和感を覚え、これはやはり何かあるのではと思っている。

この現象を見るに、サンドスターは理由はまだわからないがコミュニケーションを取りたいと考えているのでは無いだろうか。

理由については全く見当もつかないが、それっぽく考えるなら、「あるべき未来」と「過去への償い」という2つの意図を感じた。特に後者は、動物とは直接には関係のない、人間がいると思っただけの動物や絶滅動物すらも問答無用にフレンズ化させるということに関係がありそうだからだ。前者はフレンズの存在という新たな可能性、つまり漫画版にて「フレンズは人間と動物との間の架け橋になれる存在」として扱われているからだ。

ではそもそもなぜそのような意図を持っているかについてはもはや現実に対しての問題提起のためというメタ的展開としか思えない。

 

ではセルリアンはなぜフレンズを捕食し、元の動物に返すという全くもって意味不明な行動をとっているのだろうか。これを強引に解釈するなら、いわゆる人間に対して試練を課しているのではないだろうか。問題提起のためにサンドスターを出したと仮定するなら、必ずそれに関連していないと貫徹的ではない。

気になるところはサンドスターローである。なぜ「ロー」なのか。これは恐らく'raw'を表しているのではないだろうか。現在までの過去の業でもって地球の怒りに触れ、最初にこちらが放出され始めたから'raw'であり、こちらはセルリアンを生み出すのであまり良いものとは言えない。きれいな方のサンドスターは地球の慈悲によって二次的に生み出されたものである。これはフレンズという友好的存在を生み出すから、そのまま一つ目のありがたくないサンドスターの方を避けてこちらをサンドスターと読んでいるのではないだろうか。

フレンズにしかセルリアンを倒せず、フレンズたちの知能は皆が皆良いというわけではないので上手く連携できなければあっという間にフレンズがやられて人間もやられてしまう。そこをサンドスターは見ていてのだがアニメ版はその連携が失敗した世界、とも捉えることができる。

 

それにフレンズ時においては元動物の特徴的な能力が強化される。

漫画版に於いてサーバルの300kgの岩をを持ち上げる描写がある。これはよくある、もしこの動物が人間サイズならコレぐらいの能力があるだろうというのと似ている様に思うのは私だけでは無いはずだ。果たしてなぜこのような描写をしたかについては大いに考えるべき余地がある。これは単純に動物を舐めるなよ、という示威行為に見えなくもない