かしこいに

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「マイペース」を取り戻せ

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ドライヤーで髪を乾かしながらぼーっとしている時にフッと思い浮かんだ変な直感をそのままここに書くつもりなので、未熟な見識で見当違いで、n番煎じで同じようなことがネットにあったとしても、私が思いついた事のリストとして残しておくつもりです。

 

 

「あなたはマイペースな人だね」

「私はマイペースなところがあるので・・・」

「私の個性はマイペースなところです!」

などなど良い意味でも悪い意味でも「マイペース」という言葉は往々にして多くの年代で使われている。当記事で話題にするのは相手との約束を平気で反故にしたり、思ったことを場の状況を考慮せずに言ってしまうなど、悪い意味でのマイペースではなく、他人に特に害を与えず、なおかつ自分に従って生きることができるという、良い意味でのマイペースを扱う。

 

言ってしまえば、

そもそも自分のペースを持っていない人間などいない、誰もが持つ普遍的なものであり、「個性」ではない。

 

いきなり本題に入るが、なぜマイペースは他人が持っていない特有の「個性」として扱われているのだろうか。

 

そしてなぜそれに多くの人は突っ込まず(私の過去の記憶ではマイペースについて疑問に思う人は0だった。あくまで筆者の体験談のみで話を展開しているので一般論ではない)、さもありなんと言った風に受け取るのだろうか。なんとなく察せると思うが、学校や会社など外部が決めるスケジュールに追われ、良くも悪くもそれに従って生きることに慣れきっており、そのために自分自身のペースを常に放り投げていなければならない。そしてそんなことを幼少の頃から続けていれば当然自分のペースに従って生きるなどあまりにも難しすぎるという結論に至ってしまって、それが当たり前だと思っている人があまりにも多すぎるからなのではと推測する。そしてそのような結論に至ってしまった人は常々こう思う。

 

「自分のペースに従って生きているんだって?ああ!羨ましい!!私もあなたのように生きることができたら!」

 

こうして自分自身のペースに従って生きるというマイペースは誰かの特有の「個性」として成立する。

 

まあ、おかしいよね。

なにがおかしいのか、それはやはり自分に従って生きるということが特有の個性として扱われていることだろう。今の社会は良くも悪くも効率が良くて、24時間営業のコンビニのおかげで何時であっても食べ物に飢えることなんてまずないし、アマゾンなどネットショッピングのおかげで欲しいものは大体ネットで一瞬でポチッと買えるし、わざわざ休日や仕事の帰りに取りに行く必要もなく、短時間で配達してくれる。それはそれで消費者にとっては非常に便利なシステムではある。それはつまり、時間が長くなったり短くなったりと変幻自在に時間が操作されていると言える。

しかし、そのような便利なシステムの裏で働く労働者のがその便利さの代償になっている時があるということは周知の事実だろう。また、特に小中高等学校において子どもたちは皆毎日決められた時間に登校しなければならない(私の通うような一般的な私立大学は自由に時間割が決められるからまだましだとは思うが。それでも面白そうな講義や必修科目を組み合わせるとよく歪な時間割が出来上がることがある)。時間をきっちり守るというのは社会生活上、守るべき前提であり良い面も当然あるが、マイペースという「個性」を存在させるための大きな要因の一つでもあるだろう。他にも大きな要因は沢山あると思うが(特に対人関係とか)今回はこの「時間」に焦点を当てて考えてみる。

時間を守らなければという意識は大きなプレッシャーとなりうる。私が高校生の頃は宿題の提出期限が過ぎるのが怖くて、宿題が配布されたらすぐに終わらせるのが「普通」となっていた。そしてその「普通」は私生活上に多大な影響を与えていた。どんなことでも早く終わらせないといけないような焦燥感に駆られることがよく合った。例えば、FPSはとにかく短時間で多くの敵を倒し、チームに貢献せねばと焦燥感に駆られてずっとやっていた。自転車による移動のときもなぜか時間がもったいないと思いに駆られ、基本的に全力で漕いでいた。三回ある食事も当然全て迅速に済ませていた。

一個人の経験をなんの検証もせず一般論にまで敷衍するのは妥当ではないが、この記事そのものが直感で成り立っているのであえて敷衍させてもらう。間違っていることを承知の上で述べさせてもらう。

つまりこのように時間に迫られるようになると自分のペースがだんだんおかしくなり、自分とは違う外部に支配されたペースによって生きることになり、自分のペースが侵食され歪なものになってしまう。そして挙句の果てに誰かの「マイペース」に日々憧れて過ごすことになる。

  

では自身のペースを取り戻し、維持するにはどうすればよいのだろうか。

 

まず、現在の社会において時間を守るのは当然の義務なので、社会生活上のスケジュール、つまり時間を守るという外部のペースにも従った上で自分のペースに沿って生きていくしかない。

常に心に留めておくべきことは

守らなければならない「外部のペース」をできるだけ最小限に抑え、「自身のペース」をできるだけ最大化する

自身のペースにとって今現在従っている外部のペースが不要であるかどうかを考え続け、不要であるならば時を見計らって切り捨てる

ことである。

外部のペースに関わることは必然であってもそれを減らすことはある程度は可能だろう。では実際にどうするかについては流石に個々人によって全く違うだろうから述べることはできない。

しかし私の実践例を挙げることはできる。つまり、ゼミに入っていないのだ。ゼミへの加入は卒業要件の内に入っていない。そんなもったいないという声があるかもしれないが、ゼミの価値と自身のペースとを比較してみると、私にとって自身のペースの価値のほうがどうやら勝るらしい。これは人によって答えは別だと思うのであくまでも参考程度に。

 

 

まとめ

1 マイペースは個性ではなく誰もが持っている普遍的なもの

2 マイペースを個性だと錯覚するのはなぜか。社会生活上では時間厳守が前提となっているのが大きな原因の一つである。

3 対処法は人それぞれだが常に意識しておくべきことを2つあげた。

 

ここまで全て直感で書いてきた。少し支離滅裂気味な気がするけど、あくまで思いつきだから仕方ないよね(予防線張ってるみたいで申し訳ないです)。

大学生は自由に使える時間が沢山あり、それを何に使うかはまさに千差万別。だからこそ就職活動における優劣という基準で見てみると、この数年の間で他人と天と地ほどの格差が出てしまうことは往々にしてある。

 

そんなことを思考の片隅に置きながら、今自分は何に興味をもち、何をしたいのかについて考え続けている今日この頃でございます。